<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>釜援隊｜岩手県釜石市の復興・まちづくりを支援する「リージョナルコーディネーター」 &#187; 復興釜石新聞連載</title>
	<atom:link href="http://kamaentai.org/topics/column-topics/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://kamaentai.org</link>
	<description>釜石リージョナルコーディネーター・通称「釜援隊」は、東日本大震災からの復興・新しいまちづくりを加速させるために、自治体・企業・NPO・地域住民など、 多様なステークホルダーの間をつなぎ、連携を促す地域の調整役です。</description>
	<lastBuildDate>Wed, 01 Sep 2021 07:33:46 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=4.2.38</generator>
	<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#37  対話が育む「マチ」　行政、地域、歩道整備へ一体</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-37</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-37#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 02 Oct 2018 04:28:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2716</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年9月19日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 　県と事業者が東部地区の歩道の現地 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年9月19日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>　県と事業者が東部地区の歩道の現地確認会が行った日は、朝から雨が降っていた。排水不良で水たまりが出来た横断歩道、破損した点字ブロック。不具合箇所を確認する人々の表情は真剣だ。「市を訪れる人たちに、復興したまちの姿を見せたいのです。県の力を貸してください」という事業者の言葉に、県職員は「今日うかがった皆さまのご意見をもとに、補修内容を庁内で検討します」と約束した。</p>
<p>　東日本大震災の被災後、大渡地域の歩道には不具合が生じていた。しかし、津波復興拠点整備事業の指定地域外となり、近隣地域の歩道整備が進むなか復興事業による補修がされていなかった。<br />
　釜石駅から中心市街地に位置する大渡地域の外観は、釜石全体の印象に関わる。同地域の事業者たちは、2017年12月と2018年2月に大渡の歩道の全面補修を求める要望書を県に提出したが、歩道としての機能は維持されているので、必要な対策については引き続き検討すると回答を得ていた。</p>
<p>　東部地区事業者協議会の設立に際し、議題にあがったのがこれらハード整備の話題である。二宮雄岳隊員は、官民のコーディネーターとしての見解を協議会役員に伝えた。「これからのまちづくりは、地域側もある程度の負担をしていただかなくてはなりません。皆さんがその覚悟をお示しすれば、行政もより積極的に協働を進めてくれるはずです」<br />
　実際に、協議会の発足などの事業者の活動をうけ、市も東部地区に新たな街路灯などの照明設備を設置するべく庁内調整を図っているという。役員たちは各地域の会員と話し合い、設備の維持費を年会費から捻出すると合意した。<br />
　このような事業者と市の取り組みを、県にも正確に伝えなければ、と釜援隊は考えた。大渡地域の歩道整備について県の職員に再度かけあう、と協議会が決めた2018年3月、二宮隊員は県に関係者との対話の場ーー意見交換会と現地確認会ーーを提案。花坂康志隊員は、大渡地域の町内会や東部地区の事業者を訪問し、参加をよびかけた。<br />
　2018年6月4日には、そうして、市職員と地域住民、県職員の意見交換会が開催された。県職員は現地状況写真を示しながら住民から意見を集約。市職員からは、大渡地域を含む東部地区の歩道への足元灯設置計画についての説明がなされた。<br />
　翌週には実際に現地へ足を運び、意見交換会で出された不具合箇所を確認。歩道の様子は想像以上のものだったに違いない。そう二宮隊員が振り返るように、現地確認会は「通常のパトロールでは気づけない実態を知る機会」と県の担当者は感じた。</p>
<p>　2018年8月、県振興局は市の照明設備設置と連携しながら、大渡の歩道の全面補修を進める姿勢をしめした。<br />
　官民連携が実現したと喜ぶ事業者も多い。「このままいけば、我々が望んできた官民連携のまちづくりに必ずなる」と話すのは、協議会会長の新里耕司さん。東部地区で旅館を営む多田知貴さんは、整備された歩道を用いた賑わいづくりに取り組まなければ、と決意を新たにしている。「良い意味で、既存の地域の垣根を超えられるようになった。釜石が生き残るために、事業者でスクラムを組みたい」</p>
<p>　震災から約七年半。様々な変化を経た東部地区は、持続可能なまちづくりに向け先陣を切った。協議会の活動で生まれる事業者同士の何気ない会話や、行政との率直な意見交換。それは東部地区の事業者が長年願ってきたものでもあった。<br />
　来年には、東部地区の歩道に新たな灯がともり、釜石の「マチ」を訪れる人々を迎える。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」　菅原大さん（33）東部地区事業者協議会役員（大渡地域担当幹事）　<br />
</strong><br />
　父親の会社の復興を手伝うため釜石に帰り、直面したのが「このまちで商売を続けられるか」という不安だった。自社は地域の事業者さんをお客様にしているので、まちの状況が経営に響く。何か対策を考えたくても、釜石には都会のようなスキルアップをするための場所や機会がない。<br />
　だからこそ人とのつながりの大切だと思い、釜援隊が開催する研修や地域のイベントには積極的に参加してきた。その過程で出会った先輩事業者には「これからはまち全体を見て商売しなければ」と教えてもらった。競争するだけでなく、同じ方向をみて一つになる。新しい文化が釜石に生まれる時なのかもしれない。<br />
　心配なのは人口の減少だ。ラグビーワールドカップ以降もどうやって人を呼ぶか…必要なのは多様な「学びの場」ではないだろうか。このまちにはいろいろな経験をしている人がいる。そういう人たちとの交流は、学生インターンや起業を志す人にとって釜石を訪れる理由になるのではないか。受け入れる事業者にとっても、視野が広がったり、採用につながったりとメリットはあるはずだ。<br />
　様々な連携を進めるためにも、引き続き釜援隊のようなコーディネーターには居てほしいと思う。事業者は自社の経営が最優先であるし、行政は全体を見なければならず、住民同士も本音を言い合うことは難しい。皆が異なる方向を向くなかでバランスをとり、パイプ役になり、時には厳しく意見を言える第三者は、以前の釜石には居なかった。<br />
　まずは協議会を活用し、事業者が地域や商店街の垣根を越えて協力する事例をつくりたい。いずれは会員たちが情報や意見を交換し、互いの商売繁盛につながるのが理想だ。コーディネーターの力を借りながらまちの人々が一丸となり、被災や人口減少のような課題を解決する。そんな、まちづくりの「釜石モデル」を構築し、発信していきたい。</p>
<p><a href="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/10/------------------002.jpg"><img src="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/10/------------------002.jpg?resize=244%2C300" alt="プリント" class="alignnone size-medium wp-image-2717" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-37/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】♯36　協議会設立 目指すまちへ    決意する人、支える人</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-36</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-36#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 07:12:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2703</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年8月1日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 　訪れた学生たちを前に、店主は厳しい [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年8月1日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>　訪れた学生たちを前に、店主は厳しい経営状況を説明し始めた。「震災以降、売り上げも随分減ったんだよ」「何か対策はされていますか？」店主は首を横にふり、後継者もいないことから前向きになれないと語る。学生の引率をしていた花坂康志隊員はその様子を調査票に書き留めた。<br />
　岩手県立大学と釜石市の共同研究は2017年9月に行われた。目的は、ラグビーワールドカップ2019™を控える釜石市で、中心市街地の事業者の課題を可視化することだった。関係者と東部地区の復興まちづくりを協働してきた釜援隊は、その結果を市の施策に反映できるように市と協議。個店の経営状況に加え、まちの環境整備に関する意向の調査項目を加えることを提案した。当時進んでいたまちのハード整備を、市が単独ではなく事業者の意見を反映させながら進めるための下地づくりであったという。花坂隊員は事業者の協力を得ながら各地域の事業者リストを作成し、学生たちと東部地区の71事業者を訪問。結果として東部地区の約７割の事業者から回答が寄せられた。<br />
　調査結果は花坂隊員から４地域の代表の事業者に報告された。全体の約７割の事業者に後継者がおらず、震災前より売り上げが下がったと回答。収益向上につながる外国人観光客への対応を希望しながらも、対応策を講じる予定はないと答える事業者が８割にのぼることなどが明らかになった。漠然と感じていた危機感が、数値として可視化されたことへのショックは大きかった、と関係者は話す。<br />
　「自分たちはマイナスからのスタートだ」「他地域の事例を学ぶべきではないか」と話し合う事業者たちに対し、花坂隊員はもう一つの調査結果に言及した。商店街組織の設立ーー約７割の事業者が、４地域を包括する新たな組織が必要だと答えていた。同席していた市商業観光課の職員も、今なら市も組織設立に向けた協力をすると伝えた。<br />
　問題は代表の選出だった。本業の傍らで数十の事業者をとりまとめる負担は大きい。立候補の手はなかなかあがらないだろう、と関係者は懸念していた。二宮雄岳隊員は、Oh!マチMusic Festaの実行委員長をつとめた新里耕司さん（大町商店街振興組合理事長）に声をかけた。新里さんと二宮隊員は2014年から東部地区のまちづくりを協働している。様々なイベントを運営しながら、その先に目指すまちの姿を何度も議論してきた。<br />
　かねての希望でもあった新たな商店街組織の設立に際して、新里さんは次世代のリーダーが現れることを願っていた。しかし、それにはもう少し時間がかかる。「ずっと目指して来られたまちをつくるために先頭に立たれませんか。我々もご一緒します」二宮隊員の言葉に、新里さんは頷いた。<br />
　決意した方たちを支えることこそが釜援隊のミッション。二宮隊員と花坂隊員はその後、関係者と設立準備会を開いて趣意書と規約の内容を協議。「復興・振興・創生」を基本理念に掲げ、外国人観光客の対応策や事業環境の整備といったまちづくりに必要な協議を官民連携で行うプラットホームにするという大筋の方針が固まった。2017年11月27日、多方面の注目をあびながら、東部地区事業者協議会は正式に設立。地域を横断した91事業者が加入する、市内で初めての事業者組織が誕生した。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」　新里耕司さん（62）大町商店街振興組合理事長/東部地区事業者協議会会長</strong></p>
<p>　東日本大震災で商店街組織が解散し、それまで先頭に立っていた人たちも自社の復興で手いっぱいになった。行政との意思疎通もしづらくなるので、新しい組織が必要だと話し始めたのは３年以上前。「まとまるべきだよね」「組織を作ったほうがいいよね」とは誰もが言った。しかし実際に誰が手を動かすか…となると止まってしまう。そこで釜援隊が来たのが転換点になった。<br />
　リーダーになろうとする人はなかなか居ない。私にも被災した自社の経営もあるし、代表を引き受けるメリットが明確にあるわけではない。ただ、人のために働くと必ず自分のためになる、と感じている。周りにも信頼されるようになるわけだから、人として高みへあがっていける。自分のために仕事をする時間の隙間で、他人のために働く時間をつくる。一日は24時間あるから、なんとかなるだろう。<br />
　この地で生きていかないといけないなら、商いをする人間として「飽きない」ように生きて「飽きない」ようにまちを繁栄させたい。「本気でここで生きていくのか」という覚悟。そういう信念を持ちながら、常に新しいものを取り入れ循環するまちを目指してきた。最後にこうありたいという姿を描いていれば、そこに必ずたどり着けると信じている。</p>
<p><a href="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/08/------------------------2------.jpg"><img src="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/08/------------------------2------.jpg?resize=221%2C300" alt="釜援隊がゆく㊱2校目" class="alignnone size-medium wp-image-2705" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-36/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#35 官民協働 新たな局面　マチの思い映す景観とは</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-35</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-35#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Jul 2018 10:23:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2688</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年7月4日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 新たなフェーズに入った。夜の小さな会 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年7月4日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>新たなフェーズに入った。夜の小さな会議室で、仕事終わりの事業者たち、市商業観光課と釜援隊員は話し合っていた。議題は復興事業が進む市街地の歩道の柄。濃淡のグレーのブロックをどう配置するか。代表者たちは、事前に行われた分科会で各地域の事業者たちから集めた意見を報告した。<br />
会議の終わりに佐々木護さん（市商業観光課）は言った。「皆さんにも動いていただき感謝です。引き続き、一緒にまちの景観整備を考えていきましょう」佐々木さんの声に事業者たちはうなずいた。<br />
東日本大震災後に東部地区の２つの商店街が解散し、一番当惑したのは行政であったかもしれない。まちの復旧事業を進める際に、地域の事業者の声を集約する組織がなかったのである。<br />
市商工労政課（当時）は被災した事業者を個別に訪れた。しかし、状況の異なる事業者にあまねく寄り添い、声を吸い上げる難しさも痛感したという。<br />
せめて商店街組織が再編され事業者の総意が形成されれば…と、市も事業者も手を尽くした。2015年春には、市と大町商店街振興組合の意見交換会を経て大町商店街区域の拡大を検討開始。2017年には専門機関の協力を得て取り組んだが、商店街振興組合法の要件に合わず、市は商店街の区域拡大を認可出来なかった。<br />
「要望がまた叶わなかった」落胆する事業者の声を聞き、行政と事業者の間には埋まらない溝があると思った、と市の関係者は振り返る。<br />
東部地区では一方で、事業者同士の連携の機運が高まっていた。ミュージックフェスタの運営などで事業者と協働していた二宮隊員と花坂隊員は、ラグビーワールドカップ2019™に向け自らまちづくりに関わりたいと思う事業者が増えている、と佐々木さんに伝えた。「まずは市街地の環境整備で、事業者と市が話し合いながらまちづくり を進める仕組みをつくれないか」<br />
釜援隊の提案を受けた市商業観光課は復興推進本部都市整備推進室と協議し、事業者の意見を反映できる要件を検討。住民主体のまちづくりを進めるきっかけに――目的を伝え、佐々木さんらは庁内の調整をはかった。そうして2017年7月、事業者の意見を踏まえ決定すると合意されたのが歩道の舗装パターンであった。</p>
<p>意見交換会の開催が決まると、花坂隊員は地域の事業者たちを訪れ参加を呼び掛けた。分科会に続き行われた代表者会議で、参加者からあがったのは「市は事業者の意見を聞いてこなかった。今更、話し合いの場を設けても遅い」との声。二宮隊員は「市だけでは担えない環境整備もあるのが現実だ。それらをどうするか、これから共に考えいくきっかけなのだ。この機会を最大限にいかしてほしい」と理解を仰いだ。<br />
数回の会議を経て、東部地区の歩道の舗装色は決まった。同時に、議題は市街地に不足する街灯の設置問題へと移行。 事業者から市への要望の場は、いつしか両者の役割分担の場へと変わっていった。<br />
ようやく、協働が始まる。代表者会議に集まる事業者に残った手ごたえを佐々木さんも感じたという。市街地復興事業が始まり 、７年目のことだった。</p>
<p>（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」佐々木護さん（42）市商業観光課　</strong></p>
<p>中心市街地の担当についたのは2011年の10月。はじめのころは、一日でも早くハードの整備を進めなければ、と必死でした。ソフト面まで考える余力は、正直なところ、当時は無かったかもしれません。建物の造成や個店の再建が進むうちに「これをいかしてどう賑わいを取り戻すか」と考えるようになりました。<br />
事業者の皆さんと話すなかで、二宮さんや花坂さんには非常に助けられています。我々行政では言いにくいところまで事業者に伝えてくれるのが二宮さん。要望を叶えるためには地域にもある程度の費用負担が発生する。そういう現実的な話をしてくれます。市側に問われるのは「事業者の皆さんに一度やると約束したことは決してぶれないでくださいね」という覚悟。官民の間にきっちりと立ち、着実に取り組みを進めてくれる貴重な存在です。<br />
花坂さんが事業者を一軒ずつ回り、会議への参加を呼びかけ てくれたのも大きいですね。本当はそういうことが一番必要なのかもしれませんが、そう思いながらも動けないことがこれまでの行政には多くありました。今は、事業者の皆さんに「今後はちゃんと話合いで決めることができるのだ」と、感じてもらえていると信じています。<br />
東部地区を小さい頃から見てきました。通った学校もあります。どうしたらここにもう一度人が戻ってくるか、賑わいをつくれるか、必死で考えてきました。ラグビーワールドカップ2019™の成功はもちろんのこと、その先にある、地域の皆さんが恩恵を被れるようなまちづくりをしたい。そんな気持ちを共有しながら、二宮さん、花坂さん、そして事業者の皆さんと共に、引き続き頑張ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/07/---------------------------------003.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-2689" src="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/07/---------------------------------003.jpg?resize=221%2C300" alt="釜援隊がゆく㉟校正用003" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-35/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#34 「このマチで生きる」　結束の序曲 音楽祭再び</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-34</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-34#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Jun 2018 03:11:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2667</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年6月6日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 曇天を晴らすようにミュージシャンが拳 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年6月6日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>曇天を晴らすようにミュージシャンが拳を掲げた。大音量のロック音楽に耳を傾けているのは、若者や家族連れ、近隣の復興公営住宅に住む高齢者たちだ。2018年5月、再建した店が立ち並ぶ東部地区で Oh！マチMusic Festaが開かれた 。再建されたばかりの市民ホール前には特設ステージが用意され、空色のスタッフTシャツを着た事業者と釜援隊員たちが出店で商品を売る。その光景は今のまちの縮図のようだ、とある参加者は話した。</p>
<p>東部地区では昔から事業者たちがまちを盛り上げようと協働する文化があった。2010年に大町商店街振興組合が始めた音楽祭「大町ミュージックフェスティバル」もその一つ。しかしその意味合いは東日本大震災を契機に深みを増した。<br />
東部地区に存在した４つの商店街組織は、被災後、大町を残しすべて解散。事業者たちが再建を断念したり移転したり、商業地域の構図が大きく変わるなか事業者を取りまとめる組織が無く、近隣の店の詳細が分からない、復興事業の情報が行政から伝わらない、など不安を感じる事業者が多かったという。</p>
<p>事業者たちの連携基盤として2012年に結成されたのが釜石東部コミュニティ振興グループだ。最終的に加入したのは地区内の66社。代表の齊藤裕基さんのとりまとめのもとグループ補助金を申請し、市街地復興の推進力となることが期待された。<br />
2014年12月、同地区では復興公営住宅の建設が進み、他地域から多くの住民が移住し始めていた。新たなまちが出来つつある。齊藤さんは「事業者と住民が力を合わせ、この地区で共に生きていく覚悟を示すべき時ではないか」と、大町商店街振興組合理事長の新里耕司さん、一般社団法人ＲＣＦのメンバーや二宮雄岳隊員らと話し合った。</p>
<p>目をつけたのが、震災後途絶えていた音楽祭だ。イベントの理念を見直し、名前を「大町」から「Oh!マチ」に変更。地域や立場の違いを越え、“マチ“中で賑わいを創出する場づくりを試みた。新たな挑戦だった。<br />
「支えてくれた人たちに、復興の姿を示そう」齊藤さんらの声がけに応じた運営スタッフのなかには、被災した事業者も多い。それぞれの事業再建と並行しながらのイベント準備は数か月にわたり、会議が行われるのは仕事終わりの夜。<br />
事業者間の役割分担やモチベーションの維持も当初の課題となった。ＲＣＦと齊藤さんらは組織体制を一からつくり、議論が行き詰まれば二宮隊員が「何の為のイベントか」と事業者たちに問いかけたという。2016年から加わった花坂康志隊員は、会議の議事録作成やスケジュール管理などの裏方に徹した。</p>
<p>2018年、4回目のMusic Festaには約2000人の市民が来場。県内外から集まるミュージシャン、地域の店の商品を紹介する出店など、イベント内容は年々パワーアップしている、と齊藤さんは感じている。<br />
夏には同地区の事業者たちでラグビーワールドカップ2019™のプレイベントへの出店も予定。本丸はその先にある。マチの復興――全ての事業者がにぎわい創出に参画する日を目指す。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」齊藤裕基さん（57）　釜石東部コミュニティ振興グループ代表</strong></p>
<p>被災地では人々の連携が必要だと言われるが、複雑な感情が交差する状況で協力し合うことは簡単ではない。2012年に振興グループの代表を頼まれたとき、誰かが中立に立ちまとめ役にならないと復興が進まないと感じ、引き受けると決意した。<br />
事業者たちが補助金を得られるよう、事業計画や申請書作りを手伝う日々を過ごした。振興グループがMusic Festaの後援を決めてからは、事業者たちに参加を求めて回った。私の会社も市内外にあった事業所は全て津波で流され、グループの代表として人前に立てば心ない言葉を受けることもあった。震災後はしかし、自分よりも他人の大変な姿ばかりが目に入った。「人を支援することで自分が癒される」と著名な心理学者の本にある。本当にその通りで、様々なものを失った人たちの大変さを軽減させたい、と思って動くと自分の心も落ち着いた。<br />
根底にあるのは、事業者同士の絆を強めたいという気持ちだ。会議やイベント運営で顔を合わせれば「今どんな商品を扱っている？」という話になる。互いを知っていれば、新たな商売先やお客さんにつなぐこともできる。くたびれることもあったが、自分のビジョンにいつも共鳴してくれたのが釜援隊やRCFの人たち。彼らと話すと視野が広がり、力が湧いた。<br />
イベント開催の本質的な目的は、皆で一つのことを成し遂げることだと思っている。多くの人と交われば、自分たちの商売、そしてまちの可能性は広がる。既存の枠組みにとらわれず、まちの将来に必要なことをしていきたい。</p>
<p><a href="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/06/---------------------------------002.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-2668" src="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/06/---------------------------------002.jpg?resize=227%2C300" alt="釜援隊がゆく㉞校正用002" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-34/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#33 支援続く仕組み実現 森づくりに「外部」の知見</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-33</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-33#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Apr 2018 07:01:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2620</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年3月14日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 　地域の復興を牽引（けんいん）して [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年3月14日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>　地域の復興を牽引（けんいん）している団体として、釜石地方森林組合を安倍晋三首相が視察したのは2017年12月のこと。前月には、森林組合は農林水産省が選ぶ「ディスカバー農山漁村（むら）の宝」の全国優良事例として選定されました。約850件の応募から選ばれた31件のうち、林業に特化する団体は当組合のみ。釜石・大槌バークレイズ林業スクールや木材流通協議会、森林体験の運営、六次化商品開発。市内外の人が協働し、 地域の可能性を広げる姿勢が評価されたのです。<br />
　<br />
　「外部の知見を活かした組織運営・森づくり」とは、2014年秋の活動開始時に手塚隊員が掲げた活動目標です。前職の新聞記者としての経験や、移住者ならではの視点をいかしたい、という気持ちがその発端。森林組合の高橋参事も「林業の枠にとらわれない異業種との交流が組合職員の意識向上につながる」と考え、手塚隊員の方針に同意しました。<br />
　一方、東日本大震災の風化が進むにつれ森林組合への支援や関心が減少すると案じた手塚隊員は、これまでの外部支援者が引き続き釜石の森と関わり続けられるにはどうしたらいいか、と考えていました。着目したのは、遠方から継続的に支援に訪れていた企業ボランティアと、被災や高齢化によって森林の整備の資金不足に苦しむ山林所有者たち。両者のニーズを考慮し 、企業が山林所有者の植樹や下草刈りなどの年間作業を担う仕組みを設けてはどうか。自分がその調整役になる、と手塚隊員が提案すると、高橋参事は「手塚さんならではの新鮮な発想だ」と背中を押し、ともに関係者との交渉に向かいました。<br />
　<br />
　以来、箱崎半島の森林の一部はこの枠組みに参加した千代田化工グループが整備しています。通称「千代田の森」。同社が費用を負担し社員がボランティア活動をする現場です。震災以降、山林経営を諦めていたという山林所有者からは、社員との交流を通じ「山をもう一度作っていく力が湧いた」と嬉しい声が寄せられ ました。<br />
　さらに手塚隊員は、釜石を訪れた視察者や観光客向けのお土産品開発にも着手。 釜石・大槌産の杉を使い、地域企業が製作する六次化商品として、木製の枡やキーホルダーなどを開発しました。 加工費が地域企業に還元されるほか、売上の一部は植樹の際の苗木代に充てる仕組みは高橋参事の発案です。<br />
　釜石の木材と鉄の加工技術を組み合わせた木製家具「mori-to-tetsu（森と鉄）」は、森林組合を視察した安倍首相に紹介され話題に。「地域以外からやってきた人と知恵を出し合いながら、新しい生業（なりわい）の芽を伸ばしていきたいという意欲を感じる」被災地復興・日本経済の再生に不可欠な要素として、林業振興に力を入れたいと安倍首相は語りました。</p>
<p>　森林組合の広報担当として情報発信も強化してきた手塚隊員。いつでも問い合わせに対応できるよう、PRエピソードや事業目的、年度ごとの取り組み実績をまとめた資料を用意しています。「林業スクール受講者、252人・131人・150人」「森林体験プログラム参加者、435人・474人・206人」――記された人数は手塚隊員がつないできた森林組合の応援者の数でもありました。<br />
（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」植田收さん（６９）釜石地方森林組合理事<br />
</strong><br />
　私の家には先祖から引き継いだ山の木を使っている。津波でがれきに埋もれ天井も壊れたが、数年をかけて修理した。祖父が育てた木を使った家を壊すことはできなかった。<br />
　山林は有事の際の「保険」になる。震災時には持ち山の木を売って自宅再建の費用を工面した人も多かったと聞く。<br />
しかし、昔に比べて木材価格はずいぶんと下がった。手をかければ太い幹の木が育つとか、広葉樹を一部残せば栄養豊富な水がうまれるとか、祖父が私に教えてくれたようなことに価値を見出す人は多くない。<br />
　かくいう私も、山林の後継者を育てられなかった。七十近い自分がこれから苗木を買い、十年かけて保育間伐して…と考えると二の足を踏んでしまう。震災後は資金難も重なり、もう再造林を止めよう、と思っていた。そんな時に声をかけてくれたのが高橋参事だった。<br />
　スギ一辺倒ではなく針葉樹に広葉樹を混ぜて植林するという新しい方法を提案しながら、ボランティアが山づくりを手伝うから、もう一度山をつくってみないか、と。それも単発ではなく、継続的に来てくれるというので、やってみようか、という気持ちになった。<br />
　「千代田の森」が育てば、交流の場がまた増えるかもしれない。都会の人たちの憩いの場として使ってもらえたら嬉しいし、植林のやりがいも出てくる。ボランティアのなかには、「人生の節目には自分が植えた木を見に釜石へ来る」と約束している人もいる。人との付き合いが二十年、三十年先まで続くことが山の良いところだと思う。<br />
地域には私のように資金難や後継者不足に悩む山林所有者が多い。手塚さんが色々なメディアに発信しているおかげで、森林組合も変わったな、と関心を寄せるようになった組合員も多いはずだ。森林組合には、困ったときに頼れる存在であり続けてもらいたい。　<br />
　</p>
<p><a href="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/04/------------------------------------------.jpg"><img src="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/04/------------------------------------------.jpg?resize=219%2C300" alt="釜援隊がゆく㉝最終データ" class="alignnone size-medium wp-image-2622" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-33/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#32 今しかない 流通改革   地域内連携で、もうかる林業へ</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-32</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-32#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Feb 2018 05:06:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2576</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年2月19日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 　森林所有者の心が森から離れている [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年2月19日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>　森林所有者の心が森から離れている。それは近年、日本の林業が抱える最大の課題でした。<br />
森林所有者の山林への関心低下は、農林水産省が2010年に実施した意向調査でも明らかに。木材価格の下落や採算性の悪化を<br />
理由に「林業経営を行うつもりはない」と答えた所有者が全体の８割を占めたのです。<br />
　なぜ森林は「負の財産」になってしまうのか――。釜石地方森林組合の高橋幸男参事は、山林所有者である組合員に少しで多く売上を返そうと、東日本大震災前から作業の効率化に取り組んできました。その結果、森林組合は「全国有数」と言われるほどコスト削減が進みましたが、所有者の山林経営による所得は依然少ないまま。<br />
　それならば、木材の値段が上がるよう流通の仕組みを変えるしかない。高橋参事は、手塚さや香隊員や釜石・大槌バークレイズ林業スクールの講師らと話し合うなかで、この命題に取り組むと決意しました。<br />
森林組合と外部団体の調整役を担っていた手塚隊員は、高橋参事の思いをバークレイズに伝え、協力を依頼。2015年の秋にはバークレイズの社員を釜石に招き、県内の森林組合職員や近隣地域の製材所、加工業者の社員らを招いた会議を開催しました。</p>
<p>　当時バークレイズ経営企画担当であった田中崇仁さんは、林野庁の「森林・林業白書」や専門書を読み込み、森林組合の収益構造を経営学の視点で分析。議論の場では関係者の声に耳を傾けながら、伐採、製材、加工の各過程が細分化された木材流通が「利益が出にくい構造」だと注目を促したのです。<br />
　製材所、加工業者がそれぞれで営業や販売の部門を抱え、急な注文に備えて多めの在庫を持つため増加するコスト。さらには、遠方の市場に出荷するための輸送費。これらの「無駄」によって木材調達の買取価格が低く抑えられ、山林所有者に還元される利益が少なくなっている――田中さんの分析は、痛くも鋭い指摘であり、納得のいく内容だったと関係者は語ります。<br />
高橋参事と手塚隊員、田中さんらは、地元製材所経営者らと栃木県の企業視察にも向かいました。そこで見たのは、地域内の小規模な製材所や町工場を傘下に収め、受注から販売までを同社が一括して行う仕組みです。<br />
　「ひとつの組織で受注から販売までを請け負う体制には無駄がない」。<br />
　林業のプロである高橋参事と経営のプロである田中さんの意見は一致しました。森林組合、製材や加工を担う企業が一体となり、地域の木材産業を支える。関係者が同じビジョンを描き始めた2016年5月、高橋参事が提案し、発足したのが「木材流通協議会」です。加盟したのは釜石・大槌・遠野などの製材所を含めた１０社。さらには、釜石市と大槌町、岩手県沿岸広域振興局もオブザーバーとして加入しました。<br />
　流通協議会の会長となった森林組合の久保知久代表理事組合長によれば、森林組合が復興の過程で新たな取り組みを続けてきたこと、その姿を手塚さんがしっかりと発信し、関係者の信頼を得ていたことが協議会発足の素地となったそうです。<br />
　<br />
　人材育成と流通改革、日本の林業が抱える問題の解決に先陣を切った釜石地方森林組合。「森林所有者がいるから林業が成り立ち、雇用が生まれ、環境も保全されている」。高橋参事の原動力は、自分を「育ててくれた」組合員への感謝でした。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」久保知久さん（70）釜石地方森林組合代表理事組合長<br />
</strong></p>
<p>　林業は奥が深い。間伐、植樹を繰り返し、ずっと先を見据えて森を育てる仕事だ。農業や漁業とはまた異なる覚悟を持って行わなければならない。<br />
　一方で、森林には個人の財産に留まらない価値がある。二酸化炭素を吸収し、災害の被害を軽減させる。環境問題への関心が高まっている現代では、森林が持つ社会的機能は一層重要になるはずだ。<br />
　そんな森林への関心を一般の人たちにもっと持ってもらいたいと思ってきた。そのため流通協議会では、昨年、地域住民むけに「DIY教室」を開催した。林業のプロが指導しながら、参加者に地域の木材を使った椅子や小物入れなどを作ってもらう。評判は上々だ。講師となった製材業者や加工業者たちも、普段は消費者と顔を合わせる機会がほとんど無いものだから、良い刺激になったと思う。<br />
　こうした新しい取り組みが新聞やTVに出ることで、森林組合のイメージも変わってきたと感じる。以前より親しみやすい存在になれたのではないだろうか。手塚さんの発信力は林業の固定概念を変えてくれている。<br />
　東日本大震災後に「地域の役に立ちたい」と志願して、若い職員が森林組合に入ってくれたことに励まされた。新しいことにも挑戦し、夢を実現するのに必要な判断力を持っている高橋参事は「不可能はない」と思わせてくれる。森林組合の、そして流通協議会のこれからが楽しみだ。</p>
<p><a href="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/02/------------.jpg"><img src="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/02/------------.jpg?resize=222%2C300" alt="最終校正" class="alignnone size-medium wp-image-2578" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-32/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#31 企業に届けた「本音」  結実、前例なき研修内容</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-31</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-31#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 01 Feb 2018 05:28:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2472</guid>
		<description><![CDATA[&#160; ※こちらの記事は2018年1月31日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです 国際的金融機関のバー [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p>※こちらの記事は2018年1月31日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです</p>
<p>国際的金融機関のバークレイズグループから支援され、釜石地方森林組合は「釜石・大槌バークレイズ林業スクール」の開講を決意しました。そのカリキュラム内容を検討していた2014年の夏、関係者は思わぬ難局を迎えます。支援のきっかけをつくった研究機関との間で、林業スクールの理想像をめぐり意見の相違が浮かび上がったのです。最先端技術の導入か、現場研修重視か―膠着（こうちゃく）状態となった議論を打開するため、森林組合の高橋幸男参事は自治体や産業育成センター、釜援隊も一堂に会する場を設けました。</p>
<p>秋には森林組合の協働隊員となった手塚さや香隊員も、新聞社を退職し釜石へ移住。齋藤学マネジメント隊員（2017年卒業）とともに会議に参加し始めました。「森林組合は支援を受ける側として周囲に意見を強く主張できず、間に研究機関の担当者がいたことでバークレイズに直接連絡する機会も奪われてしまっていた」と当時を振り返ります。</p>
<p>さまざまな意見が飛び交った会議の後、産業育成センターの佐々隆裕専務理事（当時）は高橋参事のもとへ赴き、意見を尋ねました。返ってきたのは、林業の技術に特化せず、被災地のこれからを支える教育の場が欲しいとの答え。多様な分野を学びながら視野を広げた人材が、釜石のために必要だと高橋参事は考えていました。</p>
<p>共に話を聞いた齋藤隊員らは、意を決して東京のバークレイズと連絡をとり、釜石の状況を率直に報告。隊員たちの熱意を感じたVice Presidentの佐柳恭威さんが急きょ現地へ赴き聞き込み調査をしたところ、研究機関の担当者から聞いていた内容とは全く異なる情報を得たそうです。</p>
<p>「支援はするが口は出さないという従来の方法ではなく、森林組合や地域が望むものを一緒に作り上げていかなければ。」それは企業にとっても新しい挑戦であったと、バークレイズCOOの森原恒輔さんは話します。</p>
<p>佐柳さんは、東京に戻ると社内に募り「最強のコンサルティングチーム」を結成。林業スクールの意思決定機関や会計監査役の設置、規約や事業計画の作成、法務コンサルティングなど、本格的なサポートを開始しました。</p>
<p>また、休日には何度も釜石に足を運びながら、高橋参事や手塚隊員らとカリキュラム内容を議論。そうして揃ったのは、森林・林業分野では国内外で活躍する講師陣。チェーンソーの使い方や山林調査の方法を学ぶ現場実習に加えてコミュニケーション論、女性の働き方、危機管理術の講義など、従来の林業スクールにはない異色の内容でした。</p>
<p>手塚隊員は林業スクールの事務局運営を一手に任され、講師陣や関係者の調整に奔走しました。受講生の募集基盤が整うと、森林組合のホームページやブログを開設。報道機関の視線も取り入れながら情報発信につとめてきたことで、市内外のメディアに取り上げられた林業スクール。その受講生は３年間で67人にのぼります。なかには林業にかねてから興味があったという女性、親族から山林を受け継いだ若者も。県内に移住し林業に従事する人も輩出しています。</p>
<p>さまざまな人の思いを託された受講生たちに「一本の木を育てるのに、50年かかります。長い目で地域に貢献できる人を目指してください」との言葉を贈りながら、森林組合は次年度の林業スクール運営を準備しています。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>■「声」三木真冴さん（32）</strong>林業スクール第二期卒業生/東北・広域森林マネジメント機構事務局長</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>出身は埼玉で、もともとは国際協力に関心があった。カンボジアに住み現地の人たちと一緒に働いていたこともある。</p>
<p>東日本大震災後は国際NGOの職員として沿岸に派遣された。団体の活動が終了したのは2016年。同僚が帰京するなか、自分は退職し、住民票を釜石に移した。支援が減っていく被災地では、地域に残り活動を続ける人がそれまで以上に必要とされていると感じ、自分がそうなりたいと思ったからだ。</p>
<p>そのときに申し込んだのが、林業スクール。かねてから林業に興味があったのはもちろんだが、まちに魅力的な人が多かったことも大きい。手塚さんのように市外から来た復興支援員や、震災後に新しく事業を始めた人、頑張る姿に刺激を受け、釜石で林業を学ぼうと決めた。</p>
<p>講義はどれも面白かったが、経営論に基づき日本の林業を分析した話は特に印象が強い。林業関係者の収益の偏りを数値化し、課題を浮き彫りにしていた。現実を知ることで、対応策も考えられる。大切な視点だと思い詳しく勉強していくうちに、「自伐型林業」に出会った。西日本を中心に広がっている新しい林業の在り方で、観光や農業などと組み合わせた複業として林業を行う。安定した収入を得られるから、ドイツでは農家林家が多く、就業者が自動車産業よりも多い。そんな柔軟な働き方を東北にも広めたいと思い、受講中に「東北・広域森林マネジメント機構」を立ち上げた。現在は、県内で自伐型林業の普及啓発や人材育成事業を進めている。</p>
<p>三陸は面積の多くが森林だから、林業は大きな可能性を秘めているはずだ。林業スクールで学んだことを活かし、林業を「稼げる産業」にすることで、復興の役に立ちたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/02/---------------------------------------.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-2473" src="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/02/---------------------------------------.jpg?resize=226%2C300" alt="釜援隊がゆく㉛最終完成版" data-recalc-dims="1" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-31/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#30 多面的価値秘める森林　描く未来 実現へ伴走</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-30</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-30#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 17 Jan 2018 10:28:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[【新しい生業を創造する】６次産業化の推進etc]]></category>
		<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2451</guid>
		<description><![CDATA[※こちらの記事は2018年1月17日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。 　これまで釜援隊の「協働先」とな [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらの記事は2018年1月17日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。</p>
<p>　これまで釜援隊の「協働先」となった団体や行政機関の数は約20。その一つが、日本初の民間主導型林業スクールを運営する釜石地方森林組合です。林業を通じた地域活性化というビジョンを実現するため、2014年10月に釜援隊との協働を始めました。<br />
　協働開始の約1年前、発足から約半年が経った釜援隊は、9人の現場隊員が協働先で活動しており、各隊員を3人のマネジメント隊員が補佐していました。北海道の環境NPOを退職し釜援隊に移った齋藤学さん(2017年卒業)も、マネジメント隊員として他隊員の目標設定や進捗を管理し、活動現場と市内外の関係者との連絡役を担っていた一人です。<br />
　齋藤隊員は特定の協働先を持っていませんでしたが、住民のニーズを知ろうと地域行事や現場隊員の活動にも積極的に参加。さまざまな団体と話をするうち、震災を機に釜石の豊富な森林資源に可能性を見出し、森林組合と連携したいと考えている人たちの存在に気づきました。人々が集い防災やコミュニティへの学びを深める場として森林を用いるプロジェクトを進めていた三陸ひとつなぎ自然学校や、木の皮や枝などの未利用資源を再生エネルギーとして活用する勉強会を開いていた釜石・大槌地域産業育成センターです。<br />
　現場隊員を補佐しながらこれらの活動に携わっていた齋藤隊員は、森林組合参事の高橋幸男さんとも会話を重ねました。特に、森林は木材の生産に留まらない多面的な価値を持っていると意気投合。「森林を環境教育の場として活用したり、木材の６次化を進めたりしていけば、林業も産業として発展できます」―齋藤隊員が北海道でのさまざまな事例を紹介すると、高橋参事は自身も同様のビジョンを描いてきたと打ち明けたそうです。<br />
　一方、東日本大震災で甚大な被害を受けた森林組合は、組織の再建にむけた作業と通常業務、さらに復興のための用地確保の伐採作業などを並行して行わなければならず、企業視察やボランティアの受け入れなどにも対応する高橋参事は多忙を極めていました。<br />
　確かなビジョンを持つ森林組合、その可能性に期待する周辺団体&#8230;これらの連携を促し、森林資源を活用して地域の復興を加速させられないか。そう考えていた齋藤隊員に、ある時、高橋参事は森林組合に国際的金融機関から林業の人材育成事業への支援が打診されていることを伝えました。<br />
　「大変有り難い機会なのですが、今の組合には新しい事業に割く人員やノウハウが無いので、支援を受けるか迷っているんです」と話す高橋参事に、齋藤隊員は「それなら釜援隊がお手伝いできるかもしれません」と協働を提案。 市復興推進本部や（一社）ＲＣＦなどの関係者とも、釜援隊と森林組合の協働が地域にもたらすメリットを議論しました。<br />
　そして2014年春、釜援隊協議会と森林組合は正式に協働を進めると合意。林業人材育成事業を軸に多様な団体を巻き込み、新たな事業創出を目指すコーディネーターを全国から募集したところ、当時新聞社に勤めていた手塚さや香隊員の応募があったのです。 （釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」高橋幸男さん（53）釜石地方森林組合参事<br />
</strong><br />
　当組合は震災で5人の役職員を失い、事務所も被災し、マイナスからのスタートだった。 存続も危ぶまれる状況で、初めは自分たちのことで精一杯だったと思う。<br />
　組合員や市内の企業など地域の皆さんが支えてくださったから今日がある。その恩返しをしたい、林業だけでなく地域に貢献できるリーダーを育てたいと思っていたところで支援をいただき 「釜石•大槌バークレイズ林業スクール」を開講校した。<br />
　組合を立て直すという危機に面し、「林業はこのままでいいのだろうか」と考えるようになった。例えばこれまでの林業では、木材を市場に卸したあとの流通にはほとんど関わらない。地域を支える産業として林業を発展させるには、長年続くこれらの仕組みを変える必要があると感じる。<br />
　しかし、一次産業の人々だけで既存の構造を変えることは難しい。自分たちの課題を客観的に分析する習慣がないからだ。林業スクールの運営を通じて異業種の人たちと出会い、 経営や組織論なども学びながら視野を広げられたことは大きな財産だ。<br />
　願いを持つ人に伴走し、実現に向け共に動いてくれるのが釜援隊だと思っている。齋藤さんをはじめとするマネジメント隊員の皆さんは、何度も事務所に来て悩みを聞いてくれた。協働隊員となった手塚さや香さんは、森林組合に新しい風を吹き込んでくれた。このような人たちがしてくれたことを今一度見直し、残りの協働期間ですべきことは何かを問い直す時期に来ていると感じる。</p>
<p><a href="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/01/---------------------------------002.jpg"><img src="http://i2.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/01/---------------------------------002.jpg?resize=209%2C300" alt="釜援隊がゆく㉚校正用002" class="alignnone size-medium wp-image-2452" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-30/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#29  引き継いだ、唐丹の誇り　「さくら祭り」に重ねる地域の未来</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-29</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-29#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 13 Jan 2018 04:40:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[【ソトからの目線を取り入れる】観光産業の振興、研修会の開催etc]]></category>
		<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2444</guid>
		<description><![CDATA[※こちらのコラムは2017年12月20日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。 　高齢化率44％、少子化・過 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらのコラムは2017年12月20日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。</p>
<p>　高齢化率44％、少子化・過疎化も進む唐丹町は多くの社会課題を抱えています(2017年11月時点)。一方、これまで地域活動に携わってきた人びとは地域の未来に希望的です。「人口は減るけれど、唐丹ならそのときに合った幸せをつくれる」と佐久間定樹さん（唐丹すぽこんクラブ）は疑いません。<br />
　東日本大震災からの復興のため、地域で力を合わせた数年間がこの言葉を生んだのかもしれない。そう思わせるひとつの例が「釜石さくら祭り（唐丹町大名行列）」の復活でした。<br />
　さくら祭りは、大名行列や神楽、虎舞、太鼓などの伝統芸能が奉納される天照御祖神社の式年大祭です。三年に一度行われる祭事として約三百年間受け継がれてきましたが、震災の影響で2012年以降は開催を中断。道具が津波で流され、開催場所も未復旧なため、山口政義さんが釜援隊に着任した2013年当時は関係者の多くが「まだ祭りの再開は無理だ」と話していました。<br />
　しかし、地域には祭りの復活を望んでいる人が多いと山口さんは感じたそうです。仮設住宅などで昔の祭り映像を上映すると、参加者は涙ぐみながら思い出を語りました。山口さんが住民の皆さんから祭りの歴史を教えてもらっていると、 次第に「さくら祭りは無理でも各自の伝統芸能を披露する場ならつくれるのでは」という声が広がり、2014年4月に地域会議は唐丹町初となる「郷土芸能祭」の開催を決めました。<br />
三陸鉄道再開に合わせて開催された郷土芸能祭は、市内外から観客が集まり大成功を収めます。今ならさくら祭りも再開できるのでは、と前向きな意識へ変わった関係者たちは、ついに祭り再開に向けて動き出しました。<br />
　山口さんも助成金の獲得を手伝い、限られた資源でさくら祭りを成功させる方法を関係者と話し合いました。その過程では町内会などの地域団体と唐丹中学校が協働で虎舞を保存する取り組みも生まれ、山口さんも協力。別集落からは鉄砲隊の担い手として参加するよう要請を受けました。<br />
　そうして2015年4月、六年ぶりにさくら祭りが行われ、多くの人に見守られながら神輿や大名行列が町内を練り歩きました。伝統を継承したいと集まった中学生が舞を披露する姿には、住民の皆さんから感動の声が寄せられました。<br />
天照御祖神社の責任役員をつとめた川原清文さんは「最初は皆さんへの負担を心配したが、祭りを見た人から『ようやく震災へのもやもやした気持ちが吹っ切れたよ』と声をかけられ、心からやって良かったと思った」と当時の喜びを振り返ります。<br />
　2016年に釜援隊を卒業した山口さんは現在、任期付の市職員として唐丹の公民館事業や祭事の運営協力を続けています。地域と企業が連携する買い物弱者支援などにも携わっていると、地域のさまざまな人が行事を一緒に成功させたという経験がその下地になっていると感じるそうです。<br />
　2018年はさくら祭りの開催年です。担い手不足や環境の変化とどう向き合うか、話し合わなければなりません。復興に向けて少しずつ広がってきた協働の輪。唐丹の人びとが再び集まる季節がやってきます。<br />
（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong><br />
■「声」佐久間定樹さん</strong>（35）唐丹すぽこんクラブ クラブマネージャー</p>
<p>　市内の高校を卒業してからは別の自治体で運動教室の講師をつとめていた。約十年間釜石を離れていたが、いつも故郷の姿が胸にあった。津波で自宅は流され、まちの景色もゾッとするほど変わった。それでも、帰ってこられて良かったと思っている。<br />
　帰郷当時は、避難所や仮設での健康問題が話題になっていた。自分の経験をいかせると思い、市体育協会と連携し運動教室を開いた。市内では新しい取り組みで初めは珍しがられたが、皆で体操しながらおしゃべりするのが楽しいと口コミが広がり、今は市内で三百人以上が参加している。<br />
　唐丹では海水浴や遠足、ビーチ雪合戦大会、スカットボール大会などの新しいイベントを企画し、花火大会やお祭りの運営にも携わってきた。嬉しかったのは、普段は顔を合わせる機会が少ない同世代の人たちも、積極的に協力してくれたことだ。若者は地域行事に参加したがらないと言われるが、声をかければこちらの予想以上に楽しんでくれる。そういう人が実はたくさんいるのではないかと思う。<br />
　山口さんは地域の皆からとても信頼されている。ちょっとした会話からでも「じゃあ、やってみますか」と行動するし、伝統や歴史に着目したり助成金の存在を教えてくれたり、地元住民に新しい視点をくれる。多くの人に支えられ、自分もだれかを支える日々は充実していて幸せだ。<br />
そんな生き方を後輩たちにも伝えたいが、受け皿となる仕事が地域に必要だ。自分のような新しい働き方を増やすためにも、運動教室の成果を参加者の医療費減少額などで可視化したいと思っている。</p>
<p><a href="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/01/---------------------------------.jpg"><img src="http://i0.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2018/01/---------------------------------.jpg?resize=215%2C300" alt="釜援隊がゆく㉙校正用" class="alignnone size-medium wp-image-2445" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-29/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【復興釜石新聞連載】#28 協働増やし復興進める　地域の誇り・魅力を可視化</title>
		<link>http://kamaentai.org/topics/media/column-28</link>
		<comments>http://kamaentai.org/topics/media/column-28#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Dec 2017 09:32:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[RIE SANO]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア掲載情報]]></category>
		<category><![CDATA[復興釜石新聞連載]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kamaentai.org/?p=2410</guid>
		<description><![CDATA[※こちらのコラムは2017年11月29日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。 　テーブルに並んだ子どもたち [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>※こちらのコラムは2017年11月29日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。</p>
<p>　テーブルに並んだ子どもたちの写真を、大人たちが囲んでいました。映っているのは、もうすぐ唐丹中学校を卒業する生徒たちの小学生時代。卒業式の数日前に東日本大震災が起こった彼らは、小学校の卒業アルバムを受け取れませんでした。<br />
　2014年1月、そのことを知った佐久間定樹さん（唐丹すぽこんクラブ）と釜援隊の山口政義さん（2016年卒業）は、３年越しの卒業アルバム制作に乗り出したのです。漁協や町内会などに協力をあおぎ、集まった数十枚の写真を編集。同年の3月24日、卒業生16名にお手製の卒業アルバムを贈りました。生徒たちは顔をほころばせ、「大人になったら唐丹のためになることをしたい」と誓う子もいました。<br />
　山口さんと一緒に地域の協力を集めたのは、当時唐丹地区生活応援センター所長の見世健一さんでした。生活応援センターは市内８地区に設置された行政機関です。地域ごとの保健・医療・福祉を強化するため保健師が配置され、センター長は公民館長も兼任して生涯学習を推進しています。設置当初の関係者によると、その名前には「郷土愛を育み、地域の将来を共に考える場を増やすことで、まちづくりを自ら担う住民を応援したい」との願いがこめられているそうです。<br />
　2013年4月、釜援隊第一期として唐丹地区生活応援センターと協働を始めた山口さんは、震災で甚大な被害をうけた唐丹に何が必要かを考えました。漁業で栄えた歴史や、伝統芸能や数百年続く祭事が残る唐丹。一方近年では、生活の多様化に伴い人々が集まる機会も減り、唐丹を離れる若者も増えています。震災で顕在化した社会課題を解決するためにも、山口さんは「唐丹の皆さんが地域の魅力を再認識し、そこで生きることに喜びを持てるきっかけをつくろう」と決意しました。<br />
　山口さんが初めに企画したのは昔のお祭り映像などを投影する上映会です。生活応援センター協力のもと各仮設住宅で開催すると、知人や家族の懐かしい姿を見られると大好評。回を重ねるごとに参加者が増え、引きこもりがちな高齢男性も訪れるようになりました。<br />
　生活応援センターと地域団体の共催イベントでは、山口さんも関係者の調整や助成金の獲得などを手伝いました。民謡教室や市外遠足は、高齢者の交流の場に。唐丹のシンボルである桜並木の剪定（せんてい）作業は、地域の財産に人びとが今一度目を向ける機会になりました。<br />
　2014年8月には、公民館と唐丹すぽこんクラブ、唐丹小中学校が協力し、全集落の子どもたちを対象に海水浴＆シーカヤック体験を開催。震災を経験した子どもたちが、再び唐丹の自然に親しむ機会をつくりたいという見世さんの思いにさまざまな人が共感し、実現した事業です。<br />
　見世さんは「業務だからではなく、誰かを喜ばせたいという気持ちだった」と当時を振り返ります。そうして2015年度に唐丹地区で行われた公民館事業は25、例年の二倍以上にのぼり、唐丹の人びとをつなぐ新たな誇りとなりました。（釜援隊広報・佐野利恵）</p>
<p><strong>■「声」下村惠壽さん（68）元花露辺地区町内会長/唐丹すぽこんクラブ事務局長</strong><br />
　子どもに「豊さ」を教えるのに唐丹ほど良い地域はない。海の幸があり、歴史的遺産があり、人びとの情も厚い。地域外の人とも積極的に協働する文化がある。<br />
　私が住む花露辺地域では、かつて人々が同じ船で漁に出て、家族のように支え合って生活していた。震災時は行政の支援が来る前に自分たちで安否を確認し、助け合って避難した。復興の過程でも意見集約を自分たちで行い、防潮堤を建設しないと合意した。<br />
　以前は、地域の魅力や歴史を皆で考える機会はほとんどなかった。地域を思う気持ちがあっても、どう過疎化の解決につなげられるか分からなかった人も多いだろう。（一社）ＲＣＦや釜援隊は、住民が当たり前だと思っていることが都会では宝なのだと伝えてくれた。地域の資源に付加価値をつけて、市内外に発信してくれた。震災をきっかけにさまざまな人が訪れ、郷土を見直す機会を得たことをいかしたい。<br />
　人生で最後に残るのは情だろう。人への思いやり、優しさだ。唐丹では住民も支援者も情に厚い人が多く、困った時には誰かが助けてくれるという安心感がある。現代の若い世代には、どこか不安な気持ちで生きている人が多いのではないか。子どもたちも、その親たちも、唐丹に来て心のゆとりを得て欲しい。<br />
　震災が起こった今、生かされた私たちはこれからどうすべきかと考える。心の豊かさを今一度皆と分かち合いたい。</p>
<p><a href="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/---------------------------------.jpg"><img src="http://i1.wp.com/kamaentai.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/---------------------------------.jpg?resize=208%2C300" alt="釜援隊がゆく㉘校正用" class="alignnone size-medium wp-image-2411" data-recalc-dims="1" /></a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kamaentai.org/topics/media/column-28/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
