齋藤です。昨年の6月から岩手大学釜石サテライトで協働し、「漁業の担い手育成」に向けて活動してきました。これは釜石に限らず、多くの沿岸地域が直面している問題であり、一筋縄では解決できないテーマです。
■担い手育成の障壁
全国的に見ても、かつての「漁家子弟が漁師の跡を継ぐ文化」は廃れつつあります。釜石の浜でも、親は子どもに「都会さ行って働け」と言うようになりました。
一方では、社会の価値観が変化し、働き方が多様化するなかで、都会の人が漁師になりたいと沿岸に移住するケースも出てきました。
釜石にも、都会の若者を受け入れて、「(後継者を育てる)親方」として漁業の仕事を教えようという漁師さんがいないわけではありません。
しかし残念ながら、このような「若者を受け入れて育てよう」という漁師は浜で目立ってしまい、「出る杭」になってしまうのが現状です。地方の漁村集落ですから、多少閉鎖的なところがあっても当たり前なのですが、「出る杭は打たれる」文化のままでは、「釜石の漁業を大きくしよう」「若者を育ててみよう」という気持ちがある人の活躍の場を奪ってしまいます。
しかし、1本2本は「出る杭」でも、10本出ればそれは「当たり前」になるかもしれません。
震災以降いろいろなボランティアを受け入れ、他の地域の方との交流が増えてきたことで、開放的な雰囲気が漁村に生まれてきたことも、チャンスだといえます。
まずは漁協、漁師、漁師が協力し、新規就業者が生まれたというモデルケースをつくり、そこから新たな文化を育んでいくことが、私の使命だと思っています。
■まずは受け入れ側の認識改革から
若者を教育するのは親方ですが、受入窓口やフォローをするのは漁協の仕事です。行政も、業界団体が主催する新規就業者募集のセミナーに出展し就業希望者が現れた場合は、住宅等に補助金を出すなどのバックアップを計画しています。
「漁業の担い手」が育つためには、漁師、漁協、行政がいかに連携し、柔軟に協力できるかが要となるようです。
私もこの1年は、その「雰囲気づくり」につとめてきました。
例えば、同テーマに関して先進的に取り組んでいる地域に漁協の方と一緒に視察に行ったり、普段は意外と「本音」で話すことのない漁協職員同士の交流会を開催したり、漁師には、県や岩手大学が開催する、先進地から招聘したキーマンの講義への参加を促し、自分も一緒に参加したりしてきました。
■新たな芽を育てたい
2年前に東京で行われたセミナー参加をきっかけに、釜石での就業を決意し、移住して漁業権を取得した人が現れました。
今年2月には、都会から8名の漁師希望者が釜石に来て漁業体験に参加し、漁師たちと交流しました。参加者の中には再度釜石を訪れ、漁師らと交流を続けている人もいます。
この8名の中からはまだ新規就業には至っていませんが、受け入れる下地は少しずつできてきているのを感じています。
「担い手が欲しい」と声をあげる漁師が増えました。
漁協の若手職員の中にも、将来の漁協の姿に不安をいだき、積極的に担い手確保のため動いてくれる人も出てきました。
少しずつですが、浜の雰囲気は良くなってきています。
「漁業の担い手育成」これから本番を迎えます。
「漁師になりたい」と一大決心をした若者と、本気で教える親方との人生がそこにはあります。私も一緒に寄り添って、引き続きそれを支えていきたいと思っています。