【復興釜石新聞連載コラム】#14「ただいま」の先で会ったもの~つなげたい思い、応援したい人~ 

※こちらのコラムは2017年2月8日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

 釜石に帰って4年近く経つ今でも、こうして故郷で仕事をしていることが不思議だと感じる時があります。「釜石は田舎だし、将来は釜石の外に出て働きたいなあ」―高校生だった頃の私は、そんな風に思っていたからです。

■夢を追って
 大学では国際協力を専攻し、将来は途上国で開発協力に関わることを目指していました。26歳のときには国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊として、セネガルに派遣されることも決まりました。
 渡航を2週間後に控えた2011年3月11日、私は長野県での協力隊の事前研修を終え釜石に帰る途中でした。ようやく移動手段を確保し、釜石にたどり着いたのが3月19日。変わり果てたまちの姿にショックを受けると同時に、自分にとって釜石が「大切な故郷」であったと気づき、初めて「このまちや人のために何かしたい」と心から思いました。
 釜石に残ろうかと迷いつつも、その後予定通りセネガルに渡り2年間の任期を務めました。セネガルでは、水産加工に従事する女性の組合活動の活性化や、地域の子どもたちのための社会教育施設での活動に取り組みました。地域の抱える課題に対し、様々な人を巻き込みながら働きかけるという点で、国際協力と復興まちづくりは共通しています。「この経験を釜石で生かしたい」と考えながら、2013年3月に帰国し、釜石に戻りました。

■つながりが深める郷土愛

 釜援隊では、NPO法人@リアスNPOサポートセンターと協働し、仮設住宅や復興公営住宅でのお茶っこサロンやイベントの開催、外部企業や団体によるボランティアコーディネート、情報発信事業などを担当しています。@リアスはまちづくりを行う個人や団体を支援する中間支援組織として10年以上釜石で活動してきました。震災後は外部支援の受け入れ窓口業務から活動を再開し、現在も数多くの団体や企業等とつながっています。このような活動のなかで、私もたくさんの方々と出会わせていただきました。
 特に、市内でボランティア活動をする高校生たちとのつながりは私にとって大切です。2016年4月に熊本地震が起きたときは、彼ら自身の発案で、市内各所で街頭募金を行いました。計4日間の活動で24名の高校生が参加し、30万円以上のお金が集まりました。高校生たちは、お金を寄付する先もしっかりと議論し、自分たちと同世代の人のために使ってもらいたいと、子どもの学習支援を行う団体を選びました。自分たちで考え行動する高校生たちの姿に、「頑張って」と声をかけ、微笑ましく見守り協力する地域の方々の様子が非常に印象的でしたし、高校生たちも「地域や誰かの役に立っている」という実感を得ていました。
 このように高校生たちは少しずつ行動する経験を積み重ね、その後も釜石よいさでの物販や台風被害の復旧作業など、他のボランティア活動で活躍しています。活動を通じて郷土愛を育み、「将来は釜石で働きたい」と話す高校生も出てきています。

■ご縁に感謝しながら
 この4年で、私にとって釜石は、単なる「故郷」以上の大切な場所になりました。釜石に帰らなければ出会えなかった方々とつながり、公私ともに本当にお世話になっています。今は「釜石は田舎だけど面白い」と思えます。これからも@リアスや市内外の団体と一緒に、子どもたちが色々な釜石の側面や人に触れ視野が広がる機会を作っていけたらと思いますし、彼らの活動を地域のみんなで応援し支える仕組みができれば、もっともっと、地域の元気にもつながっていくのではないでしょうか。

■広報佐野が見る「つなげたい思い」

 復興公営住宅の整備や自立再建、飲食店街の新設など、まちの「復興」が進むなか、「本当の『支援』が必要なのはこれからだ」と話すのは@リアス事務局長の川原康信さんです。復興していくまちの様子を写真で伝える「復興カメラ」や、仮設住宅・復興公営住宅での見守りなど、@リアスの活動は多岐にわたります。その中でも川原さんが特に心を砕いているのが「『復興から取り残された』ように感じる人々に寄り添うこと」だと話します。
 「釜石の人たちはみんな優しいから、時にはボランティアや支援者にも気を遣って、元気に振る舞ってくれる方も多いんです。」と、常陸隊員も言葉を加えます。「大丈夫」や「ありがとう」の裏にある「寂しい」や「困った」という声も拾える存在でありたいと言います。それが出来るのも、釜石で生まれ、これからも釜石で活動する意思を持つ人たちだからかもしれません。
 常陸隊員が願う「地域のみんなで応援しあう仕組み」はどうしたら実現できるのでしょうか。@リアスのような団体と、協働する人や資金を提供する企業などが増えることも一つ。他隊員とは「他県には、市民が出資し公的サービスを提供する株式会社があるらしい。釜石でも参考にできないだろうか」などの議論も行われました。
 震災をきっかけに始まった「支えあい」が、釜石らしい形で地域に残ること。そのために必要な話し合いが増え、必要な人材や資源がつながる未来(ビジョン)に向かって、釜援隊も活動を続けていきます。

常陸奈緒子(第二期/@リアスNPOサポートセンター)

釜援隊がゆく⑭

ページの先頭へ