※こちらのコラムは2017年3月1日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。
私は唐丹町で生まれ育ちました。東日本大震災によりまちはすっかり姿を変えてしまいましたが、これまで復興支援に関わってきたことで、私自身のなかにも変化があったようにも思います。
■傍で観る者から、傍に立つ者へ
2011年の夏に、私は盛岡での仕事を辞めて釜石での仕事を探し始めました。当時は瓦礫の処理かNGO(国際非営利団体)のスタッフの募集が多く、私は「国境なき子どもたち(KnK)」というNGOで働くことにしました。
それまでの私は、何か問題に直面しても「誰かが解決してくれる」と受け身の姿勢で日々を過ごしていました。しかし被災地支援の現場は、人を巻き込んで、解決しなければならない課題ばかりです。特に、いくら支援者が「地域のため」と思っても、そこに住む人たちに納得してもらわなくては意味がありません。
私に支援活動の経験は無かったのですが、KnKが始めた新しいプロジェクトへの信頼や理解を得るため、地域の方たちととにかく対話を重ねました。その結果、海外の企業と地域の方々が協力し、沿岸に子どもたちや住民のためのコミュニティスペースをつくれたときは、大きな達成感を味わいました。
■地域に残る「互助」の種をまく
2016年5月からは釜援隊に入り、釜石地区生活応援センターの皆さんと協働で、主に東部地区のコミュニティ形成を支援してきました。
釜石地区生活応援センター管内では、2017年度にかけて18棟の復興(災害)公営住宅の建設が予定されており、約600世帯が新たにここに移り住むこととなります。
入居者の多くは異なる仮設や地域から越してくるため、一から新しい人間関係や生活基盤を築く必要があります。「同じ階に誰が住んでいるかわからず不安だ」「住民間の交流が少なくなって寂しい」などという声もよく耳にしています。
こういう問題を解決したいと思う住民の方と一緒に、行政、社会福祉協議会、支援団体や町内会と協力しながらさまざまな取り組みを行ってきました。その際に気を付けてきたのは、住民の皆さんがこれから自分たちでも続けられるような規模と内容であるか、ということです。
例えば、ある復興公営住宅では住民の皆さんがアイディアを出し合い、お茶菓子を持参する「持ち寄り親睦会」の開催をお手伝いしました。これには周辺地域にお住まいの方も参加され、新しい交流も生まれていました。
他のところでは、毎週火・金曜日の朝にラジオ体操を行っています。費用もかからず、誰でも気軽に参加できて、健康維持にも良いと好評です。参加者は徐々に増えており、姿を見せない方がいれば他の方が気に掛けるなど、見守りの輪も広がっています。
■困ったときこそ前進のチャンス
東部地区にはご高齢の方が多く、高齢化はこれからも進んでいきます。若い世代は自分で解決できるような問題も、年を重ねれば難しくなっていきます。心身の健康を互いにどう支えあっていくか、早めに意識をもつことが大切ではないでしょうか。
難しいことはありますし、諦めるのは簡単です。しかし、「もしかすると、自分にもできるかもしれない」と一歩踏み出すことは、すごく大事なことだと思います。私も、皆さんがそのような思いを実現するための、お手伝いをする存在でありたいと思います。
■広報佐野が見る「支え合いの連鎖」
2016年の秋、天神復興公営住宅では入居開始から約半年という早さで自治会が立ち上がりました。現在も役員の皆さんが自主的に集会を開き、互いの困りごとを解決しようと声をかけ合っているそうです。
会計をつとめる鈴木絹子さんは「(復興公営住宅に)住み始めたころは、駐車場が足りないとか砂利道がお年寄りには危険だとか、いくつも問題が出てきてね。応援センターに相談しに行ったら、すぐに担当の他の各課につないでくれたんです。『私たちの視点に立ってくれている』と思って感動しましたよ。」と振り返ります。他地域から越してきた岩間農さんは、「困ったときはいつも絹子さんや自治会の皆さんに助けていただいていますから」と、事務の仕事に励んできました。
新しい環境で出会う数十人が、助け合える関係をつくる。そのサポートは、行政職員にも初めての経験です。釜石地区生活応援センターの所長は「なるべく早く住民の皆さんの声にお応えできるよう、試行錯誤を重ねてきました。」と話します。
住民交流会で困りごとを話してもらうのもその一つ。各地区で交流会を行うと、あげられる課題には共通項が見えてきます。そうすれば支援者側も先回りして対処したり、業務を振り分けたりできるのだそうです。
3月5日には天神復興公営住宅の集会場でひな祭りを祝うちらし寿司がふるまわれます。発案者の絹子さんは、「震災の七回忌も近くになっているでしょう。皆でおしゃべりをして心が軽くなるように、気持ちを込めてご飯を用意しますよ。」と話していました。
さまざまな困難を乗り越え生まれる「支え合い」は、いずれこのまちの未来も支えるのだろう、と感じています。
東洋平(第五期/釜石地区生活応援センター)