【復興釜石新聞連載】#34 「このマチで生きる」 結束の序曲 音楽祭再び

曇天を晴らすようにミュージシャンが拳を掲げた。大音量のロック音楽に耳を傾けているのは、若者や家族連れ、近隣の復興公営住宅に住む高齢者たちだ。2018年5月、再建した店が立ち並ぶ東部地区で Oh!マチMusic Festaが開かれた 。再建されたばかりの市民ホール前には特設ステージが用意され、空色のスタッフTシャツを着た事業者と釜援隊員たちが出店で商品を売る。その光景は今のまちの縮図のようだ、とある参加者は話した。

 東部地区では昔から事業者たちがまちを盛り上げようと協働する文化があった。2010年に大町商店街振興組合が始めた音楽祭「大町ミュージックフェスティバル」もその一つ。しかしその意味合いは東日本大震災を契機に深みを増した。
東部地区に存在した4つの商店街組織は、被災後、大町を残しすべて解散。事業者たちが再建を断念したり移転したり、商業地域の構図が大きく変わるなか事業者を取りまとめる組織が無く、近隣の店の詳細が分からない、復興事業の情報が行政から伝わらない、など不安を感じる事業者が多かったという。

事業者たちの連携基盤として2012年に結成されたのが釜石東部コミュニティ振興グループだ。最終的に加入したのは地区内の66社。代表の齊藤裕基さんのとりまとめのもとグループ補助金を申請し、市街地復興の推進力となることが期待された。
 2014年12月、同地区では復興公営住宅の建設が進み、他地域から多くの住民が移住し始めていた。新たなまちが出来つつある。齊藤さんは「事業者と住民が力を合わせ、この地区で共に生きていく覚悟を示すべき時ではないか」と、大町商店街振興組合理事長の新里耕司さん、一般社団法人RCFのメンバーや二宮雄岳隊員らと話し合った。

目をつけたのが、震災後途絶えていた音楽祭だ。イベントの理念を見直し、名前を「大町」から「Oh!マチ」に変更。地域や立場の違いを越え、“マチ“中で賑わいを創出する場づくりを試みた。新たな挑戦だった。
「支えてくれた人たちに、復興の姿を示そう」齊藤さんらの声がけに応じた運営スタッフのなかには、被災した事業者も多い。それぞれの事業再建と並行しながらのイベント準備は数か月にわたり、会議が行われるのは仕事終わりの夜。
事業者間の役割分担やモチベーションの維持も当初の課題となった。RCFと齊藤さんらは組織体制を一からつくり、議論が行き詰まれば二宮隊員が「何の為のイベントか」と事業者たちに問いかけたという。2016年から加わった花坂康志隊員は、会議の議事録作成やスケジュール管理などの裏方に徹した。

2018年、4回目のMusic Festaには約2000人の市民が来場。県内外から集まるミュージシャン、地域の店の商品を紹介する出店など、イベント内容は年々パワーアップしている、と齊藤さんは感じている。
夏には同地区の事業者たちでラグビーワールドカップ2019™のプレイベントへの出店も予定。本丸はその先にある。マチの復興――全ての事業者がにぎわい創出に参画する日を目指す。(釜援隊広報・佐野利恵)

■「声」齊藤裕基さん(57) 釜石東部コミュニティ振興グループ代表

 被災地では人々の連携が必要だと言われるが、複雑な感情が交差する状況で協力し合うことは簡単ではない。2012年に振興グループの代表を頼まれたとき、誰かが中立に立ちまとめ役にならないと復興が進まないと感じ、引き受けると決意した。
 事業者たちが補助金を得られるよう、事業計画や申請書作りを手伝う日々を過ごした。振興グループがMusic Festaの後援を決めてからは、事業者たちに参加を求めて回った。私の会社も市内外にあった事業所は全て津波で流され、グループの代表として人前に立てば心ない言葉を受けることもあった。震災後はしかし、自分よりも他人の大変な姿ばかりが目に入った。「人を支援することで自分が癒される」と著名な心理学者の本にある。本当にその通りで、様々なものを失った人たちの大変さを軽減させたい、と思って動くと自分の心も落ち着いた。
 根底にあるのは、事業者同士の絆を強めたいという気持ちだ。会議やイベント運営で顔を合わせれば「今どんな商品を扱っている?」という話になる。互いを知っていれば、新たな商売先やお客さんにつなぐこともできる。くたびれることもあったが、自分のビジョンにいつも共鳴してくれたのが釜援隊やRCFの人たち。彼らと話すと視野が広がり、力が湧いた。
 イベント開催の本質的な目的は、皆で一つのことを成し遂げることだと思っている。多くの人と交われば、自分たちの商売、そしてまちの可能性は広がる。既存の枠組みにとらわれず、まちの将来に必要なことをしていきたい。

釜援隊がゆく㉞校正用002

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