二宮)
では、私たちの働き方、私たちがどのような方々とご一緒させていただいているか、ということを最後にメッセージとしてお伝えしたいと思います。
まだ、皆さん記憶に新しいところかもしれません。本当に温かいお見舞いの言葉を各所からいただきました。
釜石の平田地区で400ヘクタールもの山林が焼失するという大火災がありました。
私たちも避難所のお手伝いなどをしながら1週間過ごしました。住宅地の300メートル手前まで火が押し寄せたので2つの集落に避難指示を出して、住民の皆さんに避難していただきました。100人近い、高齢者を中心とした方々が避難所で不自由な生活を送られました。
そんな中、災害公営住宅の会長さんから一本の電話がありました。その方々は、津波で長らく避難所や仮設住宅で生活され、どのような不安の日々を過ごしているか、をよくご存知の方々です。
その方々が、「あの人たちのために何かしたいんだ。構わないか。」と言いました。色々な支援をしていただいた私たちがお返しする番だ、そういうふうに言ってくださいました。
写真に写っている鍋は、津波でたくさんのものが流れた後に、たくさんの支援をいただきながら買い揃えたものです。
その鍋を持って避難所に来て炊き出しをしてくださいました。
私たちはこう信じています。”コミュニティは、ひとの思いでつながっている”。人がいて、人がいて、コミュニティができていくんだと思っています。そういう中で、私たちはまちづくりの調整役としての役割を担っています。
まちづくりのために、私たち釜援隊がしていることを4つお示しさせていただきました。
”地域の方たちの思いを聞き取る”。”実現するための手段をともに考える”。”黒衣に徹し、ときに半歩先、ときに半歩後ろをともに歩む。ひととひとをつなぎ、まちづくりに関わるひとを増やす”。
私たちだけがするのではない。まちの方たちだけがするのではない。一緒に歩み、つくりあげていく。
そして最後には、地域の方に成果をしっかりとお返しして、まずは自分たちの足で立ち上がる自立、そして、自分たちの足で進んでいく自走、進み方を自分たちで決めていく自律まで持っていくアプローチ、そのサイクルをつくっていくのが私たちの仕事だなと思っています。
具体的にお示しするならば、「住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けたい」「自治会と町内会を結びつけたい」という思いを皆さんから聞き取り、「では、どのようなカタチが皆さんにとっていいのでしょうか」ということを皆さんと話しながら一緒につくっていく。
私たちがファシリテーションをしていけば簡単ですが、地域の方に進行もやっていただき、時には、じれったいことや行き過ぎてしまうこともありますが、サポートしていきます。ご自分たちの手で、次のものを決める地域をつくっていく。このような流れを私たちは実現しています(写真1枚目)。
地域の見守りに取り組む住民の皆さんも支援させていただきましたが(写真2枚目)、コミュニティの本質は自治会をつくるだけでなく、それをどうワークさせていくか、ということです。
行政・社協などさまざまな関係者をつなぎ、一つ一つの活動を、地域の見守り体制にどうつなげていくか、というところのお手伝いをさせていただきました。
次は、皆さんの番です。
釜石で皆さんのお越しをお待ちしています。今日、興味を持ってくださった方、ぜひご一報ください。