石井)
では、Q&Aとして会場の皆さんからご質問やご感想をいくつかお受けして、メンバーに答えられることを答えていきたいと思います。いかがでしょうか。
Q.釜援隊は、基本給ですか?それとも時間給ですか?
石井)
年俸300万円を月割りで業務委託契約とあわせてならしていきます。毎月どのくらい働いたかをレポートしていく、という勤怠管理です。
ある種、完全に仕事とプライベートが分かれていない、というのが、地域で生活する特徴なのかもしれません。コミュニケーションの本質って、一緒にいる時間だと思うんですよね。一緒にいる時間が蓄積されてきて、初めてできることもあると思っています。
二宮)
基本的に、担当マネジメントとやり取りしていますので、1日、月間でどのような活動をするのかは話をしています。
Q.釜援隊の活動は2020年までで移住を目的にしていないということなんですが、2020年以降の将来設計についておうかがいできればと思います。
遠藤)
2020年度以降のビジョンは、はっきりとは決まってはいません。ただ、祖父母が釜石にいることもあって、釜石に住み続けることは確かです。釜援隊の制度が終了しても、釜石のまちづくりに何かしらの形で関わっていきたいと思っています。
コミュニティをコーディネートする仕事は今後、必要とされてくるのではないかと感じています。このような新しい働き方を感じる場面は多く、そのような働き方をしていけるような社会になっているかもしれないし、そういったことを考えながら模索中です。
久保)
2020年以降についてですが、私には養う家族もいますし、釜援隊の活動を通して、地域の担い手の一人になりたいと思っています。そこを見越して、協働先の方とも協議をしながらお仕事をさせていただいています。
釜援隊の任期の間に、自分の出口をつくっていく、釜石の中で役割をつくっていく、というのが今の私の大きな目的になっています。
二宮)
隊員は、8割は協働先との仕事、残り2割は、自分や被災地、釜石にとってプラスになることをやっていい、としています。
なるべく「次にあなたは何をやりたいの?」ということを(統括マネジメントとして)隊員と話しつつ、将来をつくっていく、というプロセスを踏んでいます。
Q.皆さんは結婚していらっしゃいますか?一人でポーンと行ってしまう場合、家族の仕事はどうしているのでしょうか。
二宮)
家内からは、「ヨソの地域の活性化をするくらいだったら、家庭の活性化をしろ」と叱られています。ただ、働き方や釜石で活動することには理解があるので、釜石にいられます。
将来設計ですが、どんなことをやっても食べていけるだろうなとは思っています。先ほど遠藤も言っていましたけど、色々な経験をさせていただく中で、私たちが思っていることは、私たちが今つくっているモデルは、被災地における問題ではないんですよね。
少子高齢化が進む中で、色々な地域に必要となるものだと思うんです。
それらを地域にとどまらず全国に普及、展開させていくきっかけになる仕事を被災地から発信できれば、と考えています。
被災地が色々な苦しみの中で得た経験を皆さんにお伝えできる一端を担えればなと。
Q.自分が釜石市に貢献出来たなと思うまでにどれくらい時間がかかりましたか?
また、”自分が自分の仕事を作っていく、けれども自分が主体になってはいけない”、についてもう少し紹介してほしいです。
二宮)
私たち釜援隊が存在する、というところから一つのインパクトが始まっている、という意味では、その瞬間から私たちが何かの価値をお示しできているのではないかと思って頑張っています。
私たち釜援隊は自分たちは、主役ではない。よく”黒衣(くろこ)”という言い方をします。
最近は建物もどんどん建っていますが、我々は足場なんじゃないかと思っています。足場の大きさは建物の種類や大きさによって決まるんですが、建物が完成するときには足場は綺麗になくなって、建物だけが残ります。足場がなければ建物はできないんですが、足場そのものに価値はない。
”黒衣”についていえば、舞台にいるのは見えますが、黒衣を観に行く方はいません。ですが、黒衣は芝居の流れが全て頭に入っていなければならなくて、かつ、役者への信用がないと舞台に立てないんですね。そういった意味では、色々な専門性を持ったり、自身が主役にならずに一緒に考えたりしていく、ということが大切になってきます。
江口)
黒衣というのは、いかに主役を盛り立てるか、という役割であり、主役との関係性をどのようにつくるか、というのが大事になってきます。
まちの仕事は、まちの人でやるべき、ということがあるかもしれませんが、釜石には釜援隊のように遠方からの人も関わっています。ソトから来た人がいることによって、まちにいる人の新たな視点をつくります。このような見えない価値を評価すべきで、まちづくりにも必要なものです。
ソトからの人の中には、そのまま骨を埋める人もいれば、ある程度の期間が経ってから異なる地域に移る人もいますが、例えば3年この地にいれば、その事実はなくならないし、そこで得た関係は、異なる地域に行っても引き続き続いていったり、新たな地で起業をして経済効果も生むかもしれません。
生み出すインパクトをどの期間で考えるかによって、見方は変わってくるかもしれません。隊員が任期の間で培う経験や人脈はこれからに活きると思います。新しい何かをつくるときの糧、基盤になるかもしれません。
そう思うと、今やっていることは何一つ無駄なことはないんじゃないかなと思っています。
Q.何を実現し、どのような景色を見たいのでしょうか
遠藤)
子どもから高齢者までの多世代がそれぞれ役割を持って活躍し、支え合える地域社会のあり方は、少子高齢化が進んでいく中で、釜石だけでなく日本全体に必要になってくると思います。
地域の持続性をどのように高めていくのか、ということが大事だと考えていて、私が携わる放課後子ども教室もそのビジョンにつながっています。
子どもからお年寄りまでがそれぞれ役割を持つ、というと大きなことのように思えるんですけど、例えば、子どもと高齢者が交流を持つところからお互いを見守る目が育まれていきます。
些細なことから支え合いの社会がつくられていくのではないかと思っています。そのような、小さなところから支え合える社会が、私たちが目指すまちづくりの地域のカタチかなと思っています。
石井)
ありがとうございます。クリエイティブなことって「やれ!」って言われてできるものじゃないと思ってるんですよ。
例えば、上司に「明日、クリエイティブな企画をつくって来い」って言われて、そういう素養のない組織はクリエイティブなことをきっとできないんですね。
試行錯誤をして、そのリスクを取れる人がいて、その土壌があって初めて生まれるかもしれないのがクリエイティブなものであったり、非連続性のものなのかもしれません。
釜石の各地で、一つ一つは小さいかもしれないけれど、そういったものがあって、集合体としての土壌をつくっていく。それが釜援隊であり、シビックエコノミーをつくる人を支える存在、シビックエコノミーをより潤滑に育てていくのが釜援隊の役割であり、ミッションとなる。
そんなふうに釜援隊をご理解いただけたらと思います。