【釜援隊がゆく:東大インターン日記2018①】

こんにちは。東京大学理科Ⅰ類1年の森本恵理子と申します。私は、東京大学の「体験活動プログラム」を利用して、2018年8月の2週間、釜援隊でインターンをさせていただきました。その中で私が学び、考えたことをご紹介したいと思います。

【インターンに申し込んだ理由】
東日本大震災当時、私は京都に住んでおり、揺れなどは全く感じず、3月11日の夕方まで、震災のことを知りませんでした。テレビをつけて飛び込んできた映像にとてもショックを受けたことを、今でも鮮明に覚えています。
それから7年。大学の講義で被災地の今について取り上げられ、被災地には今も様々な課題が残っていることを聞きました。中高生の時に被災地に行きたいと思いつつも機会がなく諦めたことを思い出し、「やはり被災地に自分で行って、自分の目で学びたい」と強く感じ、このプログラムに参加することを決めました。

【”震災”に初めて触れて】
釜石では、仮設住宅に滞在しながら、市内外を見学したり、現地の方にお話を伺ったりという活動をしました。 釜石のとなりまちの大槌町の旧役場庁舎は、保存か取り壊しかで議論されている震災遺構です。三階まですべて割れた窓、止まった時計、焼けたかのように黒くなった外壁。多くの人が亡くなった現場を見て、私は言葉を発することができませんでした。これまでどこか遠くに感じていた震災を、初めて目の当たりにした気持ちでした。7年という時を経ても、確かにあの日、ここで、波にのまれた方たちがいる。それを肌で感じて、被災地に来ることの意味を知った気がしました。
また、震災の語り部をされている前川智克隊員のお話を聞く機会もありました。前川さんは当時から消防団として活動されておられるかたです。報道にはなかった悲惨な様子をきき、私は手がこわばってメモをとることができなくなりました。前川さんは、「同じ思いを味わってほしくない」という思いで語り部の活動をされているそうですが、震災のことを語り継いでいく難しさについても考える場となりました。

【市民発イベントのお手伝い】
また、「ゆかたで夕涼み」というイベントのお手伝いを通して、震災後のコミュニティ作りやまち町おこしのあり方について考えました。
「ゆかたで夕涼み」は、震災後、釜石に彩りを、という思いで始まったイベントです。復興公営住宅に入り、出歩くことが少なくなった高齢者の方や、おしゃれすることが少なくなった女性たちが、のんびりと集まれる場を提供するというコンセプトです。震災から7年となった今は街の状況も変わってきており、それに伴って実行委員会のメンバーの方々も、このイベントのあり方について様々な思いを抱えていらっしゃるということが、皆さんへのインタビューを通して分かりました。
私も、どうやったら盛り上がるか、人が集まってくれるか、今後も続けていけるか、そして理想とする釜石を作っていけるか、そういったことを考えながら、ミーティングに参加させていただいたり、広報活動をしたりしました。当日は天候にも恵まれ、参加者は楽しんでいたと思います。会場の配置や内容など、改善できるところはまだ残っているように感じましたが、この「ゆかたで夕涼み」のスタッフの多くは、「スタッフが楽しめることが大事」とおっしゃっていました。規模を広げるとそれだけスタッフの負担や予算が大きくなってしまいます。何をもって「成功」というのかを議論するのが難しく、多角的な視点から考える必要性を実感しました。
同時に、このような「活動する市民」を支援している釜援隊の皆さんのお仕事について伺ったり、釜援隊の協働先のインタビューに同行させてもらったりもしました。その中で、釜援隊は、「はざま」「橋渡し」「潤滑油」など、様々に表現されていました。私は、このようなボランティアのような支援が、れっきとした「仕事」としてある、ということに驚きました。行政が言えないようなことを代弁したり、第三者的視点を導入したりなど、釜援隊だからこそできる役割の幅広さがあるのだと思いました。

【問いの変化】
最初は、このインターンを通して私は、震災を被災地外にどう伝えていけばいいのかを考えようと思っていました。しかし、活動を進めるにつれ、浮かんだのは「そもそも被災地外の人間が震災について知る意義は何なのか」という問いです。その答えのヒントは、2週間で出会った様々な人にお伺いすることで得られました。「津波でなくとも、大雨や洪水など、日本には多くの災害がある。そういった場面で参考になる」そうおっしゃる方が多くいらっしゃったのです。実際、津波の被害は筆舌に尽くしがたいものですが、私が知ったのは、仮設住宅や復興公営住宅に入った後の高齢者の方の孤独感や、移住に伴うコミュニティの崩壊、人口減少といった、必ずしも津波に限らない問題が浮上しているということでした。ほかの地域でも、同様の問題が起こることは十分考えられます。そのときにどう対処すれば良いのか。私のような、被災地から遠く離れた場所にいる人間が、東日本大震災から学ぶべきことは多くある、と私は思っています。
今回私は、自分で実際に被災地に来ることで初めて、津波の悲惨さや、震災後時間が経ってから顕在化した問題について知ることができました。揺れを感じることさえなかった東日本大震災が、初めて間近に現れたような、そんな気がしました。私を含め、東日本大震災を自分で経験していない人にとっては、震災は(距離的にも時間的にも)どこか遠い出来事です。それでも改めて、もっと多くの人に、この場所に来てもらいたいと思っています。そしてあの日ここで起こったこと、その後から今まで起こっていることを知ってほしい。風化を防ぐため、というよりは、「未来に起こるだろう課題を考える」ために。

ここで学んだ多くのことをすべて文字で伝えることはできませんが、本当に多くの人たちに、とても多くのことを学びました。ここで得たものを、これから将来を考える上で糧としたいと思います。釜援隊の皆様、「ゆかたで夕涼み」スタッフの皆様、その他私に多くのことを教えてくださった関係者の皆様、釜石の皆さん、本当にありがとうございました。

(森本)

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森本(左)、同じく東大インターンの高橋(真ん中)、地域の方(右)

 

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「ゆかたで夕涼み2018」の様子

 

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