【復興釜石新聞連載】♯36 協議会設立 目指すまちへ 決意する人、支える人

※こちらの記事は2018年8月1日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです

 訪れた学生たちを前に、店主は厳しい経営状況を説明し始めた。「震災以降、売り上げも随分減ったんだよ」「何か対策はされていますか?」店主は首を横にふり、後継者もいないことから前向きになれないと語る。学生の引率をしていた花坂康志隊員はその様子を調査票に書き留めた。
 岩手県立大学と釜石市の共同研究は2017年9月に行われた。目的は、ラグビーワールドカップ2019™を控える釜石市で、中心市街地の事業者の課題を可視化することだった。関係者と東部地区の復興まちづくりを協働してきた釜援隊は、その結果を市の施策に反映できるように市と協議。個店の経営状況に加え、まちの環境整備に関する意向の調査項目を加えることを提案した。当時進んでいたまちのハード整備を、市が単独ではなく事業者の意見を反映させながら進めるための下地づくりであったという。花坂隊員は事業者の協力を得ながら各地域の事業者リストを作成し、学生たちと東部地区の71事業者を訪問。結果として東部地区の約7割の事業者から回答が寄せられた。
 調査結果は花坂隊員から4地域の代表の事業者に報告された。全体の約7割の事業者に後継者がおらず、震災前より売り上げが下がったと回答。収益向上につながる外国人観光客への対応を希望しながらも、対応策を講じる予定はないと答える事業者が8割にのぼることなどが明らかになった。漠然と感じていた危機感が、数値として可視化されたことへのショックは大きかった、と関係者は話す。
 「自分たちはマイナスからのスタートだ」「他地域の事例を学ぶべきではないか」と話し合う事業者たちに対し、花坂隊員はもう一つの調査結果に言及した。商店街組織の設立ーー約7割の事業者が、4地域を包括する新たな組織が必要だと答えていた。同席していた市商業観光課の職員も、今なら市も組織設立に向けた協力をすると伝えた。
 問題は代表の選出だった。本業の傍らで数十の事業者をとりまとめる負担は大きい。立候補の手はなかなかあがらないだろう、と関係者は懸念していた。二宮雄岳隊員は、Oh!マチMusic Festaの実行委員長をつとめた新里耕司さん(大町商店街振興組合理事長)に声をかけた。新里さんと二宮隊員は2014年から東部地区のまちづくりを協働している。様々なイベントを運営しながら、その先に目指すまちの姿を何度も議論してきた。
 かねての希望でもあった新たな商店街組織の設立に際して、新里さんは次世代のリーダーが現れることを願っていた。しかし、それにはもう少し時間がかかる。「ずっと目指して来られたまちをつくるために先頭に立たれませんか。我々もご一緒します」二宮隊員の言葉に、新里さんは頷いた。
 決意した方たちを支えることこそが釜援隊のミッション。二宮隊員と花坂隊員はその後、関係者と設立準備会を開いて趣意書と規約の内容を協議。「復興・振興・創生」を基本理念に掲げ、外国人観光客の対応策や事業環境の整備といったまちづくりに必要な協議を官民連携で行うプラットホームにするという大筋の方針が固まった。2017年11月27日、多方面の注目をあびながら、東部地区事業者協議会は正式に設立。地域を横断した91事業者が加入する、市内で初めての事業者組織が誕生した。(釜援隊広報・佐野利恵)

■「声」 新里耕司さん(62)大町商店街振興組合理事長/東部地区事業者協議会会長

 東日本大震災で商店街組織が解散し、それまで先頭に立っていた人たちも自社の復興で手いっぱいになった。行政との意思疎通もしづらくなるので、新しい組織が必要だと話し始めたのは3年以上前。「まとまるべきだよね」「組織を作ったほうがいいよね」とは誰もが言った。しかし実際に誰が手を動かすか…となると止まってしまう。そこで釜援隊が来たのが転換点になった。
 リーダーになろうとする人はなかなか居ない。私にも被災した自社の経営もあるし、代表を引き受けるメリットが明確にあるわけではない。ただ、人のために働くと必ず自分のためになる、と感じている。周りにも信頼されるようになるわけだから、人として高みへあがっていける。自分のために仕事をする時間の隙間で、他人のために働く時間をつくる。一日は24時間あるから、なんとかなるだろう。
 この地で生きていかないといけないなら、商いをする人間として「飽きない」ように生きて「飽きない」ようにまちを繁栄させたい。「本気でここで生きていくのか」という覚悟。そういう信念を持ちながら、常に新しいものを取り入れ循環するまちを目指してきた。最後にこうありたいという姿を描いていれば、そこに必ずたどり着けると信じている。

釜援隊がゆく㊱2校目

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