【釜援隊がゆく:東大インターン日記②】
はじめまして。東京大学理科一類2年の、三輪哲大と申します。
前回、ブログに記事を書いてくれた清水さんとともに、8月28日から9月8日まで、釜援隊でインターンをしていました。インターンの主題は、半官半民の組織である釜援隊の活動のお手伝いをし、地域のまちづくりがどのように行われているかを通じて、「復興まちづくり」がどのようなものかを実感する、というものです。
今回は、その中編として、期間の中ごろに行われたことについてご紹介したいと思います。
僕が釜石でのインターンを志望した理由は、以下のようなものになります。僕は今後、都市のインフラ整備を学ぶ学科に進学することになります。ですから、街がどのように作られていくかには常に興味があり、一度ある特定の街に滞在し、その街づくりの狙いを知る機会を得たいと考えておりました。その中で、震災復興という、街を再び作り上げていく必要がある地域に滞在することが、街づくりについて最も深く学べる方法であろうと考え、このプログラムに応募しました。
インターン期間のちょうど真ん中の3日間、岩手県立大の3,4年生と合同で東部地域商業者調査を行いました。この調査は、震災で大きな被害を受けてしまった、また震災が一因となっている地域人口の減少により何かしらの対策が必要となっている東部地域(釜石市の中心市街地)において、実際に商業者から人々が抱えている問題や課題を聞き、市のこれまでの復興計画について考える機会を持っていただくというものです。この聞き取りを通じ、僕が思ったことを述べたいと思います。
商業者の方に話を聞いていて、震災は、地域の問題を顕在化させるきっかけであったという認識を強くもちました。
商店街の方も言うように、震災によって、釜石の中心市街地にはいろいろな問題が顕在化しました。商圏人口が減って来客は減り、若者が街にいないので活気も生まれず、商店街の商業者の多くは自分の世代で最後だと考え、まちづくりにはあまり関心がない。この状況は、遅かれ早かれ多くの地方都市が抱える問題でしょう。
震災の後、被災地では多くの市職員、ボランティアの方が応援に入り、復興支援としての地域の活性化のために多くの活動をしてくださいました。
これに対して、釜石市では、コミュニティ形成や交流人口を増やし外からの元気を取り入れることなどの施策を打ち出しています。その結果、地域の人々が主体的に活動するようになっていると感じました。今後の日本が抱える課題に対し、釜石は他の街の一歩先を行っているとの思いを強くしました。
商店街の過疎化やまち全体人口減少など、釜石が抱える課題の多くは、今後10年、15年すると日本のどこでも起こるものになるでしょう。そのためには、「課題解決先進地」としての東北が、いかに過疎化・少子高齢化に対する知見を積むことができるかが、大切になります。
中心市街地の活性化が、まちづくり3法で提唱されてから20年近くたちますが、成功例はあまり多くはありません。その中、釜石市では「オープンシティ戦略」など独自の方法を採り、市民のためにできることを模索し続けています。これは、成功失敗にかかわらず、大切な知見となり、今後の他の都市のまちづくりに活かしうるものになると感じました。この学びは、今後の自分に活かしていきたいと思います。
普遍的な意味において、まちづくりには成功、正解はありません。ですから、こうすればうまくいくという仮説を立てて、それに基づいて行動していかなければ、まったく前進しません。釜石の人たちは、これを着実に実践しています。大切なことを学んだように思います。
今まで、しっかりと考えることがなかったまちづくり。
日々過ごしていくうちに、自分の考えの甘さ、知識不足を痛感する毎日です。
後半は、釜援隊の第一期のメンバーであり、唐丹地域の活性化に取り組んでいる山口政義さんを取材する活動に同行しながら、地方の少子高齢化が進んでいる集落に対してどのような施策を打っていくべきかということを学ぶ期間となっています。そちらは追ってご報告いたします。
最後に、この釜石の滞在を通じて、非営利組織がやったことや、まちづくりにおいてやったことをまとめて発表するとしたときに、どのように伝えればいいのだろうかということを考えさせられました。
僕が抱いた感想を伝えようとしても、この1週間考えてきたことの1割2割しか伝えられていないと感じています。さらに、自分が伝えようとした内容の半分も、相手には伝わらないのでしょう。
そんな中で、成果を発表するときには大切なのは、やはり数字なのではないかと思います。
僕が理系だからかもしれませんが、コミュニティ形成など、具体的な数値などでの効果を表現しにくいところにおいては、「何を得ました」「このような成果がありました」という説得力が足りないように思います。
ですから、何らかの方法で適切な指標を提示することが必要なのだろう、と強く感じました。ただ、その方法はまだ模索中です。今後、時間をかけて深めていくべきいい課題を得たと思うので、東京に持ち帰って、考え続けていきたいと思います。
(三輪)