【復興釜石新聞連載】#25 六次化研究会、第二章始まる 教訓胸に次の高みへ

※※こちらのコラムは2017年9月20日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

「キリン絆プロジェクト」を終えた釜石六次化研究会は、2015年秋の「釜石 海まん」販売開始とともにKamaroq株式会社の設立を決定しました。異業種のメンバーが取締役や株主をつとめながら、代表取締役には中村博充隊員を抜擢。2017年2月以降は宮崎洋之さんが代表を務めています。

 市外を中心に販売された「海まん」は、メディア報道の効果もあり一時はウェブサイトがパンクするほどの注文が殺到しました。幸先の良いスタートをきりましたが、その後は売り上げの伸び悩みに直面。良い対策を講じられないまま、約1年が経過しました。
 本業の合間を縫って進める取り組みで、利益がなかなか増えなければ士気も落ち込みます。しかし、宮崎さんは「新たな挑戦をしているのだから、上手くいかないことがあっても仕方がない。それを面白いと思わなくては」と行動し続けました。
それまでの活動を振り返りながら、教訓として心がけたのは二つ。一つは、メンバーをつなぐ核となっている六次化研究会のビジョンを、定期的に確認する場を持つことです。それは会議の場のみならず、視察や食事の場も含まれるといいます。
 もう一つは、活動に新しさを取り入れ続けることです。2016年に水産加工業者と漁師の新メンバーを迎え、より一次産業の現場に近い情報が得られるようになると、商品開発の議論も活発化。2017年12月には、形がくずれたために出荷できない「くず雲丹」を使ったリゾットが誕生しました。メンバーが紹介したバイヤーを通じて、都内百貨店での販売も決定しました。

 また、挑戦を続ける六次化研究会の取り組みは、岩手の復興まちづくりに携わりたいと思う若者たちにも影響を与えてきました。これまでKamaroq(株)が受け入れた学生インターンは延べ7名。メンバーの事業者と一緒に催事場で商品を売りながら、六次産業化の意義を学びました。
20代後半の3年間、六次化研究会と協働してきた中村博充隊員は「誰かの為に働くということが自分の幸せにつながるということを知った。そういう生き方を、自分自身で決められる強さも教えて頂いた」と話します。2017年2月に釜援隊を卒業した後は、地域の社会課題を解決する事業に取り組む企業へ就職することを決めました。
 発足から約5年が経過した現在、六次化研究会が目指すのは、協働者の増加です。「連携すると市外にアピールできる釜石の可能性が広がる」との実感を、地域の事業者、更には釜石市民に伝えたいとメンバーは願います。「海まん」の発売以来、市内外で事業者連携をうたった商品が増えていると話す関係者もいますが、「私たちの活動をもっと発信をしていきたい」と宮崎さんは話しています。
 限りある資源を共有し、事業者が共に発展できる経済をつくる。そのビジョンに共感した方が参加できる「オープンキッチン」として、六次化研究会はいつも入口を開いています。

■「声」菊地広隆さん(34)有限会社小島製菓代表

 釜石にいる大人たちには「こんなまちに居ても良い暮らしはできない」と子どもに話す人が多い。それを覆すために自分も役割を負おうと決意し、Kamaroq(株)では取締役を引き受けた。釜石を、自分の子どもたちに託せるまちにしたい。そのためには、経済を地域で、特に水産業で回すことが重要だろうと思っている。
 私も六次化研究会に入る前は、一次産業者が実際にどんな問題を抱えているかは知らなかった。メンバーと漁業者を訪問した時に、自然資源を扱う難しさや、現在の仕組みが抱える問題を肌で感じることができた。
六次産業化が進めば、釜石の漁業を支えられるかもしれない。ただ、そのビジョンを一次産業者の方々と共有するのは難しい。私たちは実際に山や海で働いているわけではなく、立場が全く違うからだ。例え怒られながらでもまずは進めよう、と活動してきた結果、漁師のメンバーを迎えられたことは嬉しい。 
 私の経験上、公共性、社会性が強調されただけの商品は売れ行きが伸びない。お客さんは事業者がお金をしっかり投入している商品を好む。だからこそKamarqは法人化を決めたし、これからはマーケティングや営業に注力していく。会議室から外に出て、お客様と直接会話をする。そこで私の強みがいかせると思っている。 
 私たちの取り組みは日本全国でも珍しく、成功すれば素晴らしい。しかし、「釜石では無理だった」という諦めが子どもたちに引き継がれたら、ダメージは計り知れないだろう。失敗は出来ないとの覚悟を持って、取り組んでいくつもりだ。

釜援隊がゆく㉕再校正002

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