【釜援隊がゆく:東大インターン日記③】

こんにちは。東京大学文科3類1年の鈴木奏と申します。大学が提供している「体験活動プログラム」を利用しての約2週間の釜援隊でのインターン。全日程を終えた今、プログラムを振り返り、私たちが学んだことや考えたことについてお伝えしたいと思います。

まずは私事ですが、なぜ私が釜援隊での体験活動を希望したのかを書かせていただきます。私は阪神淡路大震災の被災地、兵庫県神戸市で育ちました。大学入学までの期間を神戸で過ごした私が感じていたのは、被災地においてさえも進む“震災の風化”でした。私が高校生のころは震災から20年が経過する時期でしたが、まちは復旧しているため普通に生活していると震災のことを考える機会はほとんどなく、同年代の友人の中には震災のあった日を記憶していない人もいるほどでした。

また、東日本大震災が起きて以降、私は震災についての情報はほとんどテレビや新聞などの報道を通して間接的に得てきましたが、それらによってできた、震災とそこからの復興に対する私のイメージが、住民の方の思いを受け止めていない部分的なものになっているのではないか、という懐疑が私の中にありました。なぜなら、私が神戸に住んでいた頃の経験で、阪神淡路大震災の被災者の方のお話を実際に聞いたときに、それまで得てきた震災に関する情報だけでは伝わらない、深い思いを感じることがあったからです。

もともと報道という分野に興味を持っていたこともあり、釜石に実際にうかがうことによって、被災者の方の立場から震災・復興を見つめたい、という考えに加え、震災を体験していない人たちに震災のことを伝えるときにどういう発信がなされるとよいかを自分なりに考えていきたい、という思いがあって釜石にやってまいりました。

今回のプログラムでは、市役所の方・釜援隊の方・語り部の方から実際にお話をうかがう機会や、商業者の方のもとを訪ねて任意の商店街組織設立に対する意見をうかがうヒアリング、釜援隊の活動成果を可視化するための言語化プロジェクトなどがあり、様々な活動を体験する形となっておりました。こうしたいろいろな立場から復旧・復興について考える中で感じたのは、それぞれの方が復旧・復興に対して一生懸命に取り組んでおられるということと、一方で一人ひとりの思いを受け止めて合意を形成することの難しさでした。それぞれの方が思いを持って復興に向き合っておられ、その思いのどれもが尊重されるべきものであり、しかし同時に全体にとってベストとなる利益は何かという判断もしなければならないからこそ、行政面から物事を決定するのも困難ですし、報道面から何をどう伝えるかを決めるのも簡単ではないのだと感じました。

このような課題をもつ被災地において釜援隊の活動を拝見する中で、釜援隊のような支援の在り方の重要性を強く感じました。釜援隊では、自分たちが住民を引っ張る存在になるのではなく、最初は住民をリードしながらも、徐々に住民主体にしていけるように黒衣として働くことを意識していらっしゃいます。住民・役所の方と綿密なコミュニケーションをとっておられ、その双方から厚い信頼を受けているのがとても印象的でした。私は支援というのは単発に終わってしまいかねないものでは、という考えをインターン前は持っていました。しかし、釜援隊が今行っている、将来も釜石というまちが持続していけるよう、時間をかけて住民同士のつながりをつくっていくというサポートは、私の考えていた一時的な結果ではなく長期的に見て住民の方にとってのメリットになり得ると感じました。そして、この活動がより日本中に広がってほしいと思いました。

特に釜援隊の活動意義を実感したのは、以前釜援隊の隊員として唐丹地区で活動されていた、山口政義さんの働きかけを整理して言葉にしていく、という言語化プロジェクトに参加させていただいたときでした。このプロジェクトの中では政義さんからの活動説明に加え、住民の方にもお話をうかがうことが出来ました。その中で見えてきたのは、地区のコミュニティづくりにおいて、地域のアイデンティティを高めることが重要になっている、という点です。伝統文化の継承やスポーツイベントの開催などを通して年齢層の違いを超えて交流を持つことが、地域のつながりを強くするうえでのひとつのポイントになっているのだと私も感じました。

インターン期間の全日程を振り返ってみて、私は実際に現地で様々な方と出会い震災・復興について被災者や今支援に従事しておられる方の立場から見つめる機会を通して、私自身が震災について、そしてそれを人に伝えることについて考えた際に欠けていた視点を得ることができたと思っています。その視点は2点あります。1点目は、震災の被災地を”被災地”と簡単にくくることが偏った印象を生みやすいのでは、という点です。プログラムで数名の方のお話をうかがっただけでもそれぞれの立場で復興に対して持っておられる思いは様々でしたし、地域ごとに復興の過程も全く異なりました。そうした多様である現実が伝わるようにしなければ決めつけ・偏見などが生まれやすいと思いました。2点目は、報道する際に出来事の過程にも焦点を置いた方が良いのではという点です。私は今まで住民の意向がそれほど行政の決定(例えば防潮堤の設置など)に反映されているとは知りませんでしたが、インターン中に、釜石では住民の声を取り入れている部分もあるという事実を知り、自分がそうした決定について住民の方の思いを深く考えずに是非判断していたのも反省しました。こうした結果についての報道を聞いていると当事者意識が薄れ第三者的意識を助長しかねないと感じ、その決定に至るのにどんな経緯があったのかも含めて伝えることが大切だと思いました。

この学びを、インターン中に学んだ「ロジック・モデル」に当てはめると、以下の図のようになります。

インターン活動報告

ロジックモデルとは社会的活動の過程を整理し、第三者に発表するための一手法であり、釜援隊ではProblem(問題意識)→Approach(手段)→Output(成果)→Outcome(成果のもたらす影響)→Next Step(次にどういう段階に進めていけるのか)→Vision(目指しているもの)という流れで活動の流れを整理しているそうです。私のインターン期間では、まず持っていた震災報道に対する問題意識から(Problem)、実際に釜石で様々な方のお話をうかがったり活動を知ったりする中で(Approach)、前段落で紹介したような新たな視点を得ました(Output)。この経験は今後私が震災に関する報道を以前とは異なる新しい視点をもって見て考えることができる、というOutcomeをもたらします。そして、今回のインターンでは1ステップにとどまったかもしれませんが、最終的に震災報道の在り方を自分なりに見出したいというVisionがあり、そのためにもNext Stepとして報道と震災の関係についての知識を深めること、また取材する身として自分自身がもっといろいろなことを人生経験として積んでいくことが必要だと思っています。

釜石に約2週間滞在し、まち全体に人のあたたかさがあふれている、ということをとても強く感じました。今回釜石で多くの方々にお世話になりましたが、みなさん本当にやさしい方ばかりでした。このあたたかさは、釜石という地に対する強い愛着の上に存在する、製鉄所の働き手がたくさんいた時代からの、外から来た人を受け入れるオープンマインドから生まれてくるのかなと思います。さらに人口減少・そして震災という難しい課題に向き合いながらも、そこから住民同士協力して立ち上がっていこうとする前向きな気持ちを持っておられる方がたくさんいらっしゃることも、釜石を訪れた人を惹きつけるのかな、と感じました。私自身も今回初めて釜石に来ましたが、また訪れたいと思いましたし、そうやって釜石が好きになった人もたくさんいるのではと思います。

今回プログラム中にお世話になった釜援隊の方、市役所の方、そして釜石市民には本当に感謝しております。釜石ではここに書いた以外にも本当にたくさんのことを学びましたし、貴重な経験もさせていただきました。私自身あるべき報道の姿を見出すにはまだ至っていませんが、ここで知った、現地の方が何を思って今生きておられるのかということ、また釜石がいかに復興と高齢化という課題に向き合っていこうとしているのかということを、周りの人たちに伝えていきたいと思います。

釜援隊の活動のさらなるご発展と、一日も早い釜石の復興終了を心から願っております。

(鈴木)

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