【復興釜石新聞連載】#24 思いをカタチに 市外へ発信、釜石のポテンシャル

※こちらのコラムは2017年9月6日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

 復興のシンボルとなる商品として釜石六次化研究会が選んだのは「海鮮中華まんじゅう」でした。その理由を、代表の宮崎洋之さんは次のように話します。
 「私たちがつくりたかったのは、個社のヒット商品ではなく、釜石の食ブランドだった。仙台の笹かまぼこや博多の明太子のように、地域の店が同じ商品をつくる…そんなビジョンを描いたとき、水産加工食品のなかでも、餡のようにミンチ状の具材は応用がしやすいというアイディアが出た。」更には、水産卸売り店や製菓店を経営するメンバーのネットワークや技術も存分にいかせる「海鮮中華まんじゅう」。メンバーの期待は膨らみました。

 2014年の春には、市内の老舗醸造会社専務の小山和宏さんも六次化研究会に加入し、いよいよ本格的な商品開発を開始しました。しかし、顧客ターゲットや餡の味付けなどを決める話し合いでは、異なるこだわりや経営経験をもつメンバーの意見がなかなかまとまりません。「魚の味が強いと好き嫌いが分かれてしまう」「『海まん』なのだから、魚介の風味は必要だろう」などの話し合いが深夜まで続くこともあったそうです。開発作業や販売戦略の議論が進まないまま、キリングループから設定された期限は迫りました。
 「意見を言い合っているだけではだめだ。皆が納得できる工夫をしなければ」と、宮崎さんは自身のネットワークを使って市外のフレンチシェフに協力を依頼。数種類の試作品をつくってもらい、メンバーに意見を求めて修正を加えながら、合意を促しました。また、販売戦略についても自ら顧客やバイヤー情報を集めて議論の土台をつくり、会議時間の短縮をはかったそうです。
 その思いを形にする伴走者として、中村隊員は資料作成やタスク管理を任されました。また、宮崎さんと他のメンバーとの協働を進める仲介役にもなりました。例えば、各人の課題意識を事前に聞き、会議の場で中村隊員からその話題に触れる。全員の意見を一度共有したうえで「全体統括は宮崎さん」「生地の発酵作業は小山さん」と役割分担をするなど、一つ一つの合意を得ていきました。

 多くの課題に直面しながらも、協働を進めた六次化研究会。製造面での小山さんの活躍もあり、2015年の夏に「釜石 海まん」はついに完成しました。都内で行われた商品発表会には、野田武則釜石市長や当時の小泉進次郎復興大臣政務官もかけつけ、地方を支える新しいビジネスとして全国のメディアに取り上げられることとなりました。
(釜援隊広報・佐野利恵)

「声」 小山和宏さん(52)藤勇醸造株式会社専務

 震災後、「連携」を意識し始めた事業者は増えていると感じる。自社でも、他社とのコラボ商品が複数生まれた。パートナーと一緒に試作品をつくったり、コンセプトを話し合ったり、意志を共有しながら販売に至った商品はお客様にも反応が良い。商品には魂が宿ることを実感する。
 六次化研究会には、メンバーそれぞれに大きな強みと強い個性がある。宮崎さんは、海外の食産業で築いたネットワークや豊富なアイディアを持っている。君ヶ洞さんの海産物に対するゆるぎない姿勢も刺激になる。全員が持ち味を生かしながら、積極的に関われる仕組みや環境が必要だ。
 二社ですら意見が分かれるのだから、六社の連携はさらに難しい。中村隊員は調整役として素晴らしい活躍を見せてくれたし、六次化商品としての「海まん」の開発コンセプトは素晴らしいと今でも思っている。
 その一方で、改善すべき点もある。ヒット商品にするためには開発のプロセスで何が足りなかったのか、どう進めるべきだったのか、自分なりに分析してきた。今後の私たちの商品開発に生かしていきたいと思っている。
 被災した自社は市内外の方からたくさんの支援を頂き、約二年をかけて復旧した。「海まん」開発を援助してくださったキリングループにも、心から感謝している。これまで助けてくださった市外の方々、支えてくださった地域の方々への恩返しの気持ちも込めて、郷土を支える産業の発展に今後も携わっていきたい。

釜援隊がゆく㉔校正用002

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