【復興釜石新聞連載コラム】#1「応援する」者たち~踏み出す人、背中押し共に前へ~

※こちらのコラムは2016年7月9日復興釜石新聞に掲載されたものです

 こんにちは。釜援隊(かまえんたい)の佐野利恵と申します。「釜石リージョナルコーディネーター(通称:釜援隊)」として昨年から働く、盛岡出身の25歳です。先輩隊員の中には、釜石に来て5年になる人も。その間に色々なことを知り、色々なことを思ったといいます。これから定期的にこの場をお借りして、釜援隊から皆さんへの「お便り」を出そうと思っています。

 釜援隊は「釜石を応援する隊」の略称です。応援するとは「応え」「援(たす)ける」こと。辞書によれば「応える」とは「働きかけに添うような反応を示す」こと、「援ける」とは「事がうまく運ぶように補佐する」とあります。どちらも先に相手の気持ちや行動があって成り立つ行為。「この街を良くしたい」と思う人たちがいてこそ、私たち釜援隊の役割が生まれるのだと思います。

 私がはじめて釜石に来たのは、震災が起こった年の夏です。当時大学生だった私は、卒業研究のため災害対策本部を訪ねました。そこで出会った市役所の方々は、大変な現場で身を粉にしていました。その中の一人が、私に言われた言葉は忘れられません。「生まれ育ったこの街を守りたい」―その声が心に残り続け、釜援隊に入ったのが昨年の6月でした。

 「故郷の人を支えたい」と帰ってきた隊員もいます。釜援隊は現在16人、うち6名が釜石出身です。平田出身の久保竜太隊員は、震災をきっかけに釜石に戻ることを決意しました。観光交流課で教育旅行の誘致にも励んでおり、今月は盛岡市内の中学生が、三陸ひとつなぎ自然学校による防災学習に参加します。

 隊員は市内各所で活動しています。生活応援センターや森林組合、まちづくり会社など、隊員の個性や特技に合わせ、活動は実に多種多様。共通しているのは、人やモノを「つなぐ」ことです。行政と市民の仲介をさせていただいたり、市民活動に必要な人材や助成金を調達したり、まちづくりの黒衣(くろこ)として、つなぎ役に徹します。

 「復興の現場を、これからの釜石を担う学生達に知ってほしい」と、かまいしさいがいFMでは「進め!釜石放送部」を放送中。高校生がまちづくりのリポートをする番組です。私も釜援隊のネットワークを活用し、高校生とまちづくりに関わる大人たちをつないできました。これまで12名の高校生が、市長やボランティアガイド会などを取材しました。

 復興支援に限らず、誰かを応援することは、簡単ではありません。押しつけにならず、背中を押せるように…隊員それぞれが教科書やマニュアル(説明書)のない現場で格闘しています。迷いの多い日々だからこそ「応援する!」という覚悟は強くなった気もします。先日、一人のラジオ部員が私に言いました。「復興のためにと、色々な人が釜石にいることは僕にとってチャンス。多くの人に会って、新しい考えに触れて、自分自身を変えたい」。一歩を踏み出そうとする人がいるから、私たちも一緒に新しい価値を生み出したいと思うのです。

 釜石でなければ出会えなかった方々とのご縁を大切にしながら、釜援隊は今日も誰かを応援し、どこかで何かをつないでいます。定期連載「釜援隊がゆく」、どうぞよろしくお願いします。

佐野利恵(第四期/マネジメント・広報)

釜援隊校正用

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