【復興釜石新聞連載コラム】#6 漁業の危機に立ち向かう~ひとつなぎ、共に育てる後継者~

※こちらのコラムは2016年9月21日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

 私には漁師の血が流れています。母方の祖父は福島県相馬市の漁師でした。一緒に船に乗ったり、網の魚を外したり、爺さんの後ろ姿を見て育ちました。
 しかしあの日の津波によって、私が子供の頃に遊んだ砂浜や港は姿を変えました。「あの風景は戻らない。浜の再生はどうなるのだろう。」当時、滋賀県で釣り具の製造・輸出入業を営んでいた私は、故郷の様子をTVで見ながら、やるせなさで一杯になったのを覚えています。
 あれから5年が経った2016年の春、「故郷と同じ東北の浜で何かできることをしたい」と第5期に応募しました。

「最悪」の未来像
 悲しいことに、震災以前から漁業は多くの問題を抱えています。日本の多くの港で、漁師の高齢化や後継者不足、魚価の低迷、漁村集落の存続危機が叫ばれてきました。  
 釜石の漁師の数は、現在およそ千人。10年前の6割に減っており、更にその半数以上が60歳以上と推計されます。今は頑張って漁業をしている方々も、いつかは辞めてしまいます。その後、新規就業者が少ないと何が起こるでしょうか。
 水揚げ高は減り、皆さんのお手元に届く「釜石産」の魚が減ってしまうのです。漁村の「経営者」である漁協でも、手数料収入や購買・共済部門の売り上げが減ります。漁協は辞める漁師に出資金を返還しますので、収入は少なくなる一方で支出は増えていきます。若い漁師が家族のために頑張って稼ごうとしても、漁港からは人が居なくなり、活気が無くなっていく…。浜で人手の必要な共同作業を行うとなると、本業を休んで駆り出されることも増えます。限界漁村の出現です。
 会社なら、これは「新入社員ゼロ」と「退職者急増」という局面です。そうならないように、漁業を大局的に見て問題点を捉え、手を打たなければなりません。たぶんそして、それが出来る最後のチャンスが今なのです。

後継者育成に向けた産学官連携
 今、市が中心となって「漁業担い手育成協議会」設立の動きがあります。行政、漁協、漁師が真剣に「これからの漁業のあり方」を話し合い、具体的で有効な施策を打つためです。8月末には第一回の「設立準備会議」が行われました。
 主なメンバーは県沿岸広域振興局水産部、市産業振興部水産課、そして私の協働先である岩手大学三陸復興・地域創生推進機構釜石サテライトです。私もさまざまな関係者間をつなぐコーディネーターとして貢献したく思っています。 
 父親のあとを当たり前のように継いで、漁師になる人が多かったのは過去の話。これからは、後継者候補を増やすために、地元の子供や市外の若者に漁業を体験してもらう場づくりなどの工夫が必要です。参加者の中から漁業に就業してくれる人が一人でも多く出て欲しいですし、就業後に独り立ちできるような行政側の支援についても協議会で話しあう予定です。

漁師の魅力発掘
 漁は男のロマンです。人間の思い通りにならない自然を相手にする漁師には、ダイナミックな働き方が求められます。漁師の一番の魅力は、「大漁の時に沸き立つ気持ち」だと皆さん口を揃えておっしゃいます。
 時化(しけ)が続けば「晴漁雨読」。また、釜石漁業のメーンである定置網漁や養殖漁業の場合は、朝早くから仕事している分、午前中に仕事が終わることも多いですから、家族との時間もたくさん取れます。
 内部で担い手候補の受け入れ態勢を整備しながら、外部には「漁師と漁村の魅力」をもっと発信したいと思っています。

魚がいるだけではダメなんだ。そこに漁師がいないと
 「さかなのまち」釜石の復興と、漁業の再興は切り離せません。浜がにぎわい、地元の魚が食べられてこその「故郷の再生」です。せっかく世界三大漁場の三陸沖が目の前にあっても、漁師がいなければ駄目なのです。
 太平洋をオフィスにして働く漁師志望の若者よ来たれ!
 釜石の胃袋を支える漁師を増やすために、頑張っていきます。

  
■広報佐野が見る「漁業の『危機』」
 一次産業の後継者問題は、これまで多くの人たちが考えてきたと思います。それにも関わらずいまだ有効な解決策がないのは、「打つ手がない」のではなく、「本音で話しあう場」が足りないからだ、という齋藤隊員の言葉に、私は救われる思いがしました。
 違う立場の人たちが、今の漁業に何を思うかを話しあう。そんな場づくりも、一朝一夕で実現できることではないのでしょう。しかし、釜石の水産業をめぐり、新しい変化が起こっていると取材を通して教えていただきました。
 震災が起こってから、漁業の将来に改めて向き合う人の数は少しずつ増えており、これから設置される「漁業担い手育成協議会」も、これまでの復興活動でさまざまな人たちが連携した経験が基盤となり活動していくようです。
 岩手大学釜石サテライトで漁業の後継者育成事業に取り組む田村直司さんは、「水産業は、3.11をきっかけに生まれ変わらなければならない。多額の税金をかけて復旧した港だからこそ、賑わいが戻るのを漁師さん自身にも感じて欲しいし、市民の皆さんにも見届けて欲しい」と話します。そのためにも、自分たちの浜の将来を想像し、危機感を持つ人が増えて欲しいと願うのだそうです。
 齋藤隊員の故郷である相馬市の松川浦は、かつて東北で指折りと言われた水揚げ高を回復するべく、さまざまな課題の解決に取り組んでいると聞きます。釜石の港でも、8月末の台風被害を受けた地域の復旧作業が続いています。
 大きな困難に立ち向かうときこそ、同じ未来を目指す人たちが膝を突き合わせることで、「これから」が始まると期待しています。

齋藤孝信(第五期/岩手大学三陸復興・地域創生推進機構釜石サテライト)

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