※こちらのコラムは2017年1月25日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。
井筒洋一と申します。静岡市で生まれ育ち、東京の大学で体育を学び、スポーツ専門職を務めた後、神奈川県を活動場所とする公益財団に30余年勤務し、グループ5法人の本部事務局長などを経験。退職後、中高一貫校の事務長、大学の就職指導担当を経て、ここ釜石の地に役割を与えられ1年半が経とうとしています。
置かれた場所で咲くように
今思えば、40年程前になりますが、大学以降の暮らしは、地方都市からの流出人口の一人でした。特に都会に憧れていたわけでもなく、人とのつながりの中でたまたま与えられた場所が東京圏だったような気がします。
前職の公益財団は社会教育を主たる事業としており、各業務に携わりながら、阪神淡路大震災、トルコ大地震の際は、現地に赴きボランティアコーディネーターを務めました。東日本大震災でも、ボランティア派遣を検討するための視察を、仙台市を中心に行いました。
被災地で活動しようと考えたのは、おそらく多くの人が思う、「何かしなければ」の思いゆえです。釜石とはゆかりの無い私でしたが、ご縁をいただいた場所にて、私に与えられているものを出し切りたいと思っています。
信じて襷(たすき)を託す
三陸にある釜石は、恵まれた港を含む「海」と、豊かな自然が残る「山」があり、両者の距離が近く、まちの機能も凝縮されていることが印象的です。地理的条件は人々の距離を近づけ、一体となって未来に向けた歩みを生み出す可能性を大きくしていると感じます。
被災地復興への思いを加えて記せば、釜石に残る歴史や伝統を大切にしつつ、「かつてはこうだった」という所からの再出発ではなく、「新しい釜石」を目指すという挑戦の応援をしたいということです。
仮に人口が3万弱になったとしても、コンパクトなスマートシティを目指し、そこで人々が幸福にどう生きるか。現状を認識し、過去の延長線上にはない、新しいまちの未来を描くためには、新しい発想を持った若者、青年たちが、活躍できる場が要るのではと考えます。
インターンやボランティアの受け入れ、釜石のPRイベントの企画、外部講師によるセミナー開催など、震災復興に向けた取り組みが、さまざまな人の交流を生み、釜石の若者にとって良い刺激をもたらしていることを見聞きしております。偶然の出会いをインフォーマルな教育の場として、未来を担う若者が育ち、いずれまちづくりの提言者となることを願います。
輝く「個」を混ぜ合わせる
現在、隊員は3分の2が県外出身者ですが、最近は釜石出身者もしくは釜石にゆかりのある者が増えています。年齢も経験も幅広く、異なりを認めながら、その違いを融合しさらに良い働きを醸し出しております。
各隊員は個人事業主ですので、活動は自らの責任の上に成り立ち、自由度が大きいのも特徴です。与えられた任務だけでなく、自らでも課題を見つけ、地域の方々と一緒に掘り起こし、責任を持って日々の活動にあたります。活動の方向性や計画を決めると、市復興推進本部事務局と面談をしながら、具体的な活動を展開します。
我々マネジメントは、現場の隊員が活動しやすく、ベストを発揮できる環境を維持するための下支えです。総務、人事労務、対外折衝等々の全体の運営。普段は異なる協働先で活動している隊員が、週に一度全員で集まる定例会議も持っています。
じっくり進める歩みを共に
釜援隊の活動は、国の東日本大震災復興特別会計が終了する2020年度が最長の期限となっています。期間に限りの有る活動ですが、様々な異なりが混じり合って醸し出す力を信じ、懸命な活動を支えていきたいと考えており、そのためには何より、課題を自分事として明確に認識することから始めていきたいと思っております。
■広報佐野が見る「支える者」
2013年当時、釜石市の予算規模は震災以前の約6倍に膨らんでいたといいます。道路の復旧やコミュニティの再形成、産業の立て直しなどあらゆる課題を解決するため、企業・NPO・ボランティアなども、行政とともに復興という同じゴールを目指す、一つのチームになる必要がありました。そのプレーヤー同士をつなげ、各々の役割を最大限発揮できるよう支援するべく設置されたのが、釜援隊でした。
釜援隊協議会のメンバーである金野尚史係長(市復興推進本部事務局)は、かつてシーウェイブスのラグビー選手であった経験を思い出しながら、チームプレーでは「プレーヤー同士が痛みを分かち合うことが大切だ」と話します。トライを決めてスポットライトを浴びる「花」の選手がいる一方で、泥臭いプレーでチームを支える「根」の選手がいる。両者が互いの役割を尊重し、苦労をねぎらう関係を築いてこそ、チームの結束力は高まり、勝利に近づくのだそうです。そして釜援隊も、井筒隊員という「根」の存在に支えられていると評します。
自身も釜石の復興における「根」になりたいと話す金野係長。まちづくりの先輩に多くのことを教わりながら、釜援隊も新しい挑戦にトライし続けています。
井筒洋一(第四期/マネジメント)