【復興釜石新聞連載コラム】#16 子どもたちに贈りたい「新しい鵜住居」~世代間でつなぐ、復興のバトン~

※こちらのコラムは2017年3月22日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

 この6年、私は自分が育った鵜住居町の復興支援に取り組んできました。震災直後は消防団として活動し、その後は「鵜住居地区復興まちづくり協議会」などの団体に所属。2013年からは釜援隊として、同団体と協働してきました。

故郷の復興を支える
 鵜住居まち協は、地域の復興と「スポーツ・防災・人の和」を軸とした新しいまちづくりを進めるため、2012年12月に発足しました。地元住民を中心に構成され、鵜住居町のまちづくり計画について議論を重ね、初期においては市に提言書を提出し、行政と住民の間で情報を共有するため住民説明会を開催しています。
 また、震災で離ればなれとなった住民らが集い話せる場を作るため「鵜住居復興フェスティバル」を主催し、「東日本大震災追悼行事」なども開催。さらに仮設暮らしの方々のストレス解消のため「にこにこ農園」を開園して地元の住民や小学校へ農地を提供しています。「鵜住居復興新聞」の発行も続けており、復興計画の進捗や自力再建者への参考情報などを住民に提供してきました。私はこれらの活動の補佐や、議論の調整役に徹してきました。

次世代のために、自分にできることを
 私が釜援隊に入った頃は、深夜にかけて議論が続く日も珍しくありませんでした。生まれ育ったまちの再生に携わることを非常に誇りに思う反面、自分には荷が重いと感じることもありました。ガレキが撤去された後も、更地と化したまちをどう再生したらいいのかという不安も募りました。
 しかし私たちには、現在の地域の人々の為だけでなく、次の世代が安心・安全に暮らせるまちをつくる責任があります。私は津波にのまれ左耳の聴力を失いましたが、子供たちには自分と同じような思いを経験させたくありません。そのため、今日まで自分の被災経験を市内外、国内はもとより海外の方々など、多くの方々に防災を学んでもらうための「語り部」や「被災地案内」も行ってきました。これからも体の続く限り、活動していきたいと思っています。
 また鵜住居町では、来年度で嵩上げ工事や復興公営住宅の建設がほぼ終了し、人とのつながりや心のケアなどを考えたまちづくりが本格的に始まります。そこでは、これからまちの中心となる若い世代の人たちが、積極的に参画してほしいと思っています。
 一方では、会議や説明会に参加できない人たちが多い現実を、どう打破するかを考える必要があります。さまざまな人が鵜住居の活動に携われる環境づくりに私も励むつもりです。

「スポーツの力」を活用したい
 未来にも続くまちの象徴になると思うのが「スポーツ」です。鵜住居は2019年ラグビーワールドカップの開催地の一つであるのに加えて、スポーツを通じて人々が一つとなり、まちおこしをする下地があると思っています。特に野球は住民に馴染みが深く、お盆に帰省する際は野球道具を持参し地域の大会に参加するのが恒例でした。
 そして、スポーツは子供たちに夢と希望を与えてくれます。私も野球をしてきましたが、試合に参加することで選手は目標を持ち、頑張る力をつけると実感してきました。
 将来を担う子供たちが健康な心身を育める環境が整い、スポーツを通じて市内外の人々の交流が生まれることが、未来の鵜住居に望むことの一つです。

未来を思いながら
 鵜住居の「復興」とは、元のまちに戻ることではなく、新しいまちになることを意味すると思っています。願わくは、鵜住居の人たちが一人でも多く地元に戻り、市外からも震災以前より多くの人が訪れる賑やかなまちとなってほしい。何よりも、次世代の子どもたちが活躍できるまちとなることを目指し、私に出来ることを続けていきます。

■広報・佐野が見る「復興のバトン」
 釜援隊としてさまざまな方と一緒に活動していると、「復興」についての捉え方は人や地域によっても異なることを感じます。「忘れてはならないのは、人々が新しい希望をもつためには、見えないところで汗をかき、『泥臭い作業』を担う存在がいることだ」と話すのは、鵜住居まち協の佐々木憲一郎さんです。
 被災地域のまちづくりは、専門知識を要するハード面の再生計画から、柔軟なアイディアを要するソフト面の支援活動へと軸足を移していきます。佐々木さんは、これまで裏方として鵜住居まち協の活動を支えてきた前川隊員を労いながら、「新しいまちの枠組みは出来てきた。これからは、それを運用する世代の人たちと議論を深めたい」と願い、前川隊員に「世代間のつなぎ役」となるよう期待を寄せます。
 「個の力を全体にいかす」「常に一歩先の展開を見据えて行動する」元バスケットプレーヤーの佐々木さんは、まちづくりの精神をチームスポーツに重ねて教えてくれました。その助言に倣えば、地域の外からも鵜住居の復興のために出来ることはまだまだあるのかもしれません。
 釜援隊では、これまで唐丹や平田、東部地区などの地域でもコミュニティ形成をお手伝いしてきました。各地域の皆さんが積み上げた経験や教訓を、同じ課題に直面する他地域での活動にも活かせるよう、担当地域をまたいだ隊員間の連携も強化したいと話しあっています。

釜援隊がゆく校正用002

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