【復興釜石新聞連載コラム】#17 互助の仕組み、地域の力で~「支援者」の流儀を貫く~

※こちらのコラムは2017年3月29日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです

 「あなたはなぜ釜石に来たのですか」とおたずねいただくことがあります。6年前、東日本大震災が起こったこの年は、私にとっても30年来の親友が突然亡くなるなど、自分の生き方を見つめなおした年でした。「いままで受けたご恩をどのように返していくべきか」と考えているとき、釜援隊の募集を知りました。それは本当に偶然だったのです。

あかりをともす
 25歳から勤めていた信用金庫を退職して釜石行きを決めたとは言え、被災地で自分は何が出来るのか、と考えていました。企業再生や事業改善など専門分野での支援経験はあれど、地域コミュニティに関わる活動では地元の青少年指導員として連合町内会を手伝ったことがある程度です。そんなときある方が「あなたならきっとみんなが笑顔になる方法を考えられる」と背中を押してくれました。ひとつひとつの街角に、ひとりひとりの心に、あかりをともしていく。そんな活動を行う決心がついた瞬間でした。

みんなの地域をつくる、 ”みんなの”プロジェクト 
 最初は平田地区生活応援センターの皆さんと、災害公営住宅での自治会形成支援に取り組みました。しかし解決すべき課題も多く、住民の方から「ここで自治会はつくれない」と言われたこともありました。全戸訪問して話し合いを続けた結果、組織の運営ルールもご自分たちで決め、現在も自主的な活動を行う自治会が設立されました。
 2015年度からは、釜石市社会福祉協議会、釜石市と協働で「住民の皆さんが、住み慣れた地域で自分らしい生活をしていくために、住民の皆さんによる互助の仕組みをつくる」ことを目的とした「かまいし地域包括ケア”みんなの“プロジェクト」にも取り組みました。
 さまざまな立場の方が研修会や視察に参加し、最終的には37人の住民の方が地域の支援活動の担い手である「地域世話やき人」となり、皆さんの発意に基づく4つのコミュニティビジネスが立ち上がるなど、市内外からご注目いただく結果に繋がりました。これも、地域の福祉を支えてきた釜石市社協の底力と、住民の皆さんの決意などが様々に化学反応を起こしたからであり、何より2016年度以降の「ご近所支え合い復興事業」として、釜石市の地域コミュニティ形成の中核事業の種火となれたこと、また後の復興庁の「新しい東北」復興功績顕彰の受賞につながったことはとても喜ばしいことでした。

触媒として、一石を投じ続ける

 私たち釜援隊は活動期間に限りのある、「復興を支援する者」であり、「このまちのありたい姿」は地域の皆さんがご自分の責任において選択されるべきものです。私は地域の方とお話しする際、「地域の課題解決は皆さんにも大切なことであり、それを実現できるのも皆さん自身である」と、ときには率直な意見を伝えるときもありますが、それも皆さんの真剣な想いにこちらも真剣に向き合い、ときには対立を恐れず一石を投じることも躊躇しないことこそが、私たちを受け入れてくださった地域への礼儀だと考えるからです。 
 根の小さい樹に大輪の花は咲きません。先進的な施策も、その受皿たる地域コミュニティがあればこそのものです。皆さんの心にともった「灯」が、ひとつひとつ集まっていき、やがてこのまちを照らす大きな「陽」となる。そんな反応を誘発する「触媒」たるコーディネートを、残りの任期でも目指していきます。

■広報・佐野が見る「支援者の流儀」
 ”みんなの”プロジェクトで発足した「平田はまなす」は、毎月第三木曜日に災害公営住宅にてコミュニティ・サロンを開いています。材料費の数百円をもらう代わりに、「体のことを考えて」と減塩にこだわった手料理を提供。サロンが開かれる集会場は終始楽しそうな笑い声に包まれ、参加者・スタッフともに数が増えているというのもうなずけます。
 地域の困りごと解決を住民の方にも担ってもらう。そのためには、支援者自身も「それまでの仕事のやり方を変えるほどの覚悟が必要だった」と話すのは、釜石市社協の菊池亮さんです。そこには「震災以前から『人と向き合う支援』をしてきた私たち(社協)だからこそ、できる役割があると思ってきた」との信念を携え、震災直後から被災者支援の中枢を担ってきた誇りも滲んでいました。
 菊池さんにとって、地域福祉の醍醐味とは「公的制度や民間サービスではカバーしきれない課題を、その土地ならではの資源を使って柔軟に解決する」こと。釜援隊も「今の釜石に与えられた資源」であり、「このチャンスをいかして、自分たちは何を生み出せるか問われていると思った」と語ります。そうして進めた歩みのなかで、本丸として目指してきた「住民の主体性」が生まれたことは、菊池さんの自信にもなったとも教えてくださいました。
 二宮隊員は、2016年度から「隊長」として隊務の統括もしてきました。「釜石の人、釜石の団体、この地でこれからも生きる人たちが活躍できるための黒衣(くろこ)になろう」という隊長の言葉を胸に刻みながら、釜援隊も活動5年目の春を迎えたいと思います。

プリント

▽参考:釜石市HP”復興を内包した「釜石版地域包括ケアシステム」について”

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