【復興釜石新聞連載】#31 企業に届けた「本音」 結実、前例なき研修内容

 

※こちらの記事は2018年1月31日発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです

国際的金融機関のバークレイズグループから支援され、釜石地方森林組合は「釜石・大槌バークレイズ林業スクール」の開講を決意しました。そのカリキュラム内容を検討していた2014年の夏、関係者は思わぬ難局を迎えます。支援のきっかけをつくった研究機関との間で、林業スクールの理想像をめぐり意見の相違が浮かび上がったのです。最先端技術の導入か、現場研修重視か―膠着(こうちゃく)状態となった議論を打開するため、森林組合の高橋幸男参事は自治体や産業育成センター、釜援隊も一堂に会する場を設けました。

秋には森林組合の協働隊員となった手塚さや香隊員も、新聞社を退職し釜石へ移住。齋藤学マネジメント隊員(2017年卒業)とともに会議に参加し始めました。「森林組合は支援を受ける側として周囲に意見を強く主張できず、間に研究機関の担当者がいたことでバークレイズに直接連絡する機会も奪われてしまっていた」と当時を振り返ります。

さまざまな意見が飛び交った会議の後、産業育成センターの佐々隆裕専務理事(当時)は高橋参事のもとへ赴き、意見を尋ねました。返ってきたのは、林業の技術に特化せず、被災地のこれからを支える教育の場が欲しいとの答え。多様な分野を学びながら視野を広げた人材が、釜石のために必要だと高橋参事は考えていました。

共に話を聞いた齋藤隊員らは、意を決して東京のバークレイズと連絡をとり、釜石の状況を率直に報告。隊員たちの熱意を感じたVice Presidentの佐柳恭威さんが急きょ現地へ赴き聞き込み調査をしたところ、研究機関の担当者から聞いていた内容とは全く異なる情報を得たそうです。

「支援はするが口は出さないという従来の方法ではなく、森林組合や地域が望むものを一緒に作り上げていかなければ。」それは企業にとっても新しい挑戦であったと、バークレイズCOOの森原恒輔さんは話します。

佐柳さんは、東京に戻ると社内に募り「最強のコンサルティングチーム」を結成。林業スクールの意思決定機関や会計監査役の設置、規約や事業計画の作成、法務コンサルティングなど、本格的なサポートを開始しました。

また、休日には何度も釜石に足を運びながら、高橋参事や手塚隊員らとカリキュラム内容を議論。そうして揃ったのは、森林・林業分野では国内外で活躍する講師陣。チェーンソーの使い方や山林調査の方法を学ぶ現場実習に加えてコミュニケーション論、女性の働き方、危機管理術の講義など、従来の林業スクールにはない異色の内容でした。

手塚隊員は林業スクールの事務局運営を一手に任され、講師陣や関係者の調整に奔走しました。受講生の募集基盤が整うと、森林組合のホームページやブログを開設。報道機関の視線も取り入れながら情報発信につとめてきたことで、市内外のメディアに取り上げられた林業スクール。その受講生は3年間で67人にのぼります。なかには林業にかねてから興味があったという女性、親族から山林を受け継いだ若者も。県内に移住し林業に従事する人も輩出しています。

さまざまな人の思いを託された受講生たちに「一本の木を育てるのに、50年かかります。長い目で地域に貢献できる人を目指してください」との言葉を贈りながら、森林組合は次年度の林業スクール運営を準備しています。(釜援隊広報・佐野利恵)

 

■「声」三木真冴さん(32)林業スクール第二期卒業生/東北・広域森林マネジメント機構事務局長

 

出身は埼玉で、もともとは国際協力に関心があった。カンボジアに住み現地の人たちと一緒に働いていたこともある。

東日本大震災後は国際NGOの職員として沿岸に派遣された。団体の活動が終了したのは2016年。同僚が帰京するなか、自分は退職し、住民票を釜石に移した。支援が減っていく被災地では、地域に残り活動を続ける人がそれまで以上に必要とされていると感じ、自分がそうなりたいと思ったからだ。

そのときに申し込んだのが、林業スクール。かねてから林業に興味があったのはもちろんだが、まちに魅力的な人が多かったことも大きい。手塚さんのように市外から来た復興支援員や、震災後に新しく事業を始めた人、頑張る姿に刺激を受け、釜石で林業を学ぼうと決めた。

講義はどれも面白かったが、経営論に基づき日本の林業を分析した話は特に印象が強い。林業関係者の収益の偏りを数値化し、課題を浮き彫りにしていた。現実を知ることで、対応策も考えられる。大切な視点だと思い詳しく勉強していくうちに、「自伐型林業」に出会った。西日本を中心に広がっている新しい林業の在り方で、観光や農業などと組み合わせた複業として林業を行う。安定した収入を得られるから、ドイツでは農家林家が多く、就業者が自動車産業よりも多い。そんな柔軟な働き方を東北にも広めたいと思い、受講中に「東北・広域森林マネジメント機構」を立ち上げた。現在は、県内で自伐型林業の普及啓発や人材育成事業を進めている。

三陸は面積の多くが森林だから、林業は大きな可能性を秘めているはずだ。林業スクールで学んだことを活かし、林業を「稼げる産業」にすることで、復興の役に立ちたい。

 

釜援隊がゆく㉛最終完成版

 

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